
第三話 憧れた存在
「はい。もう行かないと……」
そう言って琥珀色の瞳をした少年、零は来た道を戻って行く。
その背中を隣に立つ孫娘の小雪と共に見送る一人の老人がいた。
宗玄。この村の村長である。
「ねぇ、おじいちゃん。零くん、今日も一人ぼっちだった……なんとかならないかな?」
小雪がぽつりと呟くように言う。
「そうじゃな……この問題はわし達が思うとるより根深い。じゃが、大丈夫じゃ。わしがなんとかしてやるからの」
宗玄はそう言いながら小雪の頭を撫でた。
「うん……ありがとう、おじいちゃん」
小雪は安心したように笑いながら、宗玄に抱きつく。
「さ、もう遅い。家の中へ入るぞ」
「うん!」
小雪と宗玄は家の中へ入り、居間へと歩く。
すると、小雪をそのまま大人にしたかのような、妙齢の美しい女性が居間から出て来た。
「おお、楓さん。小雪が今帰ったぞ」
その女性、楓は小雪の母で宗玄の息子、煌牙の妻だった。
「おじいちゃん、小雪を迎えに行ってくれてありがとうございます」
「いいんじゃよ。孫との時間ができて嬉しかったわい」
ほっほっほっと髭を撫でながら笑って見せる宗玄に頭を下げると、今度は楓が小雪の方に振り向く。
「小雪、帰って来たのね。今日もあの子のところに行ってたの?」
楓がそう問いかけると、小雪は少しだけ表情を硬くして言葉を紡いだ。
「うん……あのねお母さん、零くんは本当にいい子なんだよ。だから……」
「わかってるわ。あの子は悪い子には見えない。でもね……私はあまり深く関わり過ぎない方がいいと思うの」
「……どうしてなの?」
「それがあなたのためなのよ……」
「わからないっ! どうしてそれが私のためになるのっ!」
このままでは親子喧嘩になってしまう。
そう思った宗玄は二人の間に入り、その場を収めようと話しかける。
「まぁ、待ちなさい楓さん。小雪は優しい子じゃ。寂しそうな零くんを放ってはおけんのじゃろう」
「それは知ってます。小雪は優しい子ですから……ですが、おじいちゃんになら私の言ってる意味がわかるでしょう?」
「うむ、勿論承知しておる。しかし、小雪も零くんのことを大事な友達だと思うとる。その友達を捨てさせるようなことはしてほしくはないんじゃ」
「……」
宗玄の言葉に楓は言葉を呑み込み、考え事を始める。
彼女としても、なにも小雪を悲しませたくて言っているのではない。本当に小雪のことを考えているからこその言葉だったのだ。
と──考えがまとまったのか、楓が口を開いた。
「……わかりました。おじいちゃんの言う通りですね」
楓はため息を吐きながら、小雪に向き直った。
「小雪……さっきはごめんね。お母さん、あなたのことが心配で、小雪の気持ちを全然考えれてなかったわ」
「ううん、私もごめんね。私のことを心配してくれたのにわがまま言って。でも零くんは私の大事なお友達なの。だから皆と同じように冷たくするなんて出来ない」
楓は小雪の頭を撫でながら穏やかな口調で言葉を紡ぐ。
「それほど大事な友達なら、お母さんもう何も言わないわ。でもね、お父さんには絶対に内緒よ」
その言葉を聞くと、小雪の顔はぱあと輝き、こくりと頷いた。
「うん!わかった」
宗玄はその光景を眺めながら、これから降りかかって来るであろう未来を憂い、そして同時に胸に誓う。
この温かな家族を守り抜くと……
──
「親父、この頃悪鬼の動きが活発になってきてるみたいだ」
「ああ、そのようじゃな。幸いあの男のおかげで村に被害は出ておらんが……」
夜も深まり、皆が寝静まる頃、ランプの灯りだけが静かに灯る屋敷の一室で、二人の男が向かい合っていた。
「本当にあの男のおかげか? 俺はどうも信用できねぇ。もしかしたらあの男が手引きしてるのかもしれねぇ」
訝しげに眉を寄せるのは、歳の頃は30半ば、よく鍛えられた逞しい身体に、顔に刻まれた傷が歴然の雰囲気を感じさせる次期村長の男である。
その名は煌牙。
その言葉の通り、彼は刀真や零のことを快く思っていない。
「それはないと思うがの。少なくともあの男が裏切るとは思えん」
それに反対するのは現村長である宗玄。どういう訳か、彼は零達を信用していた。
「親父がなぜあの親子の肩をそんなに持つのかはわからねぇが、あの男の正体が妖怪である以上は警戒しておくに越したことはないと思うぜ」
村のためにもな、と煌牙は続ける。
「俺たちが考えなきゃいけないのはあくまで村のことだ。村の安寧のためなら、俺は躊躇なくあの親子を斬る」
その言葉を聞いた宗玄はその皺だらけの目を僅かに見開き、静かに口を開いた。
「それはちと性急すぎるのではないかの? あの二人を斬って、それでどうなる? むしろこれ幸いと悪鬼どもがこの村に押し寄せてくるぞい」
諌めるような宗玄の言葉に煌牙はそっぽを向き、
「ふんっ……どうだかな」
と吐き捨てるように呟いた。
「だが、村の者たちはあの親子を恐れている。何かあればすぐにでも、事態は動くだろう」
「うむ……そうじゃな」
「そうなった時が、覚悟を決める時だぜ。親父」
煌牙は静かな口調で宗玄にそう告げた。
宗玄の眉間に深い皺が刻まれる。
「じゃあ俺はもう寝る。親父も早く寝るんだな。身体に障る」
「ああ、少し月を眺めてからにしようかの。今宵は月がよう見えよる」
宗玄はそう言うと障子を開け、縁側に腰掛けて頭上の月を見上げる。
金色の月が闇夜に浮かび上がる様は神々しく、自然と感嘆の息が漏れてしまうほどだった。
“お願いします。小夜殿と共に生きることをお許し下さい”
ふと、そんな言葉を思い出す。
あれからもう十数年もの歳月が経っているが、その時の光景は今でも胸に焼きついている。
突然村にやって来た正体不明の男。
その男が神主の娘を嫁にくれと、なんと神社に現れたのだ。
明らかに人間とは異なる外見に、その場にいる者は皆、一触即発の空気を纏っていた。
もちろん、その場にいた宗玄も最大限の注意を払っていた。
しかし、そんな周囲の空気とは裏腹に、その男は娘と共に生きたいと、ただひたすら頭を下げていた。
当然、神主は反対していた。
当たり前だ。神社の一人娘が、よりにもよって人外の者と一緒になるなど、言語道断だったのである。
だが男は懇願し続けた。頭を地面につけ、共に生きさせて下さいと──
宗玄はその光景を見て、哀れみを感じるよりも、なぜか憧憬の感情が浮かんできたのだった。
この男は明らかに妖の類だ。
力を出せば、いとも容易くこの場を制圧し、望みを叶えることが出来るというのに、それをしないどころか、こうして頭を下げ、人間の礼を尽くしている。
“もう許してやってもいいのでは”
心の中ではそんな考えが生まれていた。
簡単に言えば、宗玄はこの男が気に入ったのだ。
それでも神主は頑なに男の懇願を聞き入れなかった。痺れを切らした娘は神主の前に立ち、
「この人と結ばれなければ縁を切る」
と神主に告げた。
最初神主は狼狽していたが、渋々男と共に生きることを受け入れたのだった──
月を見上げながら宗玄は昔のことを思い出し、笑みが溢れた。
あれほどの純粋な想いを見たのは久しぶりだった。
あの日、宗玄はあの男の強さに憧れた。
あの時に思ったのだ。この夫婦のために、できるだけのことをしたいと──
微笑みを浮かべて眺める月は相変わらず幻想的な光を放っていた。

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