
第一話 霞の村
遠い昔。
まだ世界に妖の類が認識されていた時代。
ある森に囲まれた人口約四百あまりの村があった。
名は霞ヶ咲。霞の中で何かが咲く場所だと、誰が言い始めたのかは分からないが、そんな言い伝えがあった。
大規模ではなかったが、薪の煙は絶えることを知らず、しかし虫の声は静かに鳴り響く。そんな静謐と活気が混在した村だった。
その村の外れに、藁葺きの小さな家が一軒、ぽつりと建っていた。藁はところどころ黒ずみ、軒先からはかろうじで形を保った束が垂れ下がっている。
その外観から、豊かさとは無縁の家なのだと分かる。
その家のすぐ近くで、一心不乱に刀を振り続ける少年がいた。
歳の頃は十に届くかどうか。漆黒の髪に琥珀色の瞳。右目の下には黒子がある。
そんな風体の少年だった。
ヒュンッ──
ヒュンッ──
「はぁ……はぁ……」
僕はいつものように家の前で、刀を振っていた。
ヒュンッ──
ヒュンッ──
何度振っただろうか、回数など最早数えていない。ただ刀を振るうのみ。
この刀を振っている時だけは、全てのことを忘れ、自らの世界で呼吸をすることが出来るのだ。
「貧乏人で根暗の零がまた刀を振ってるぞ!」
「見ろよ!あいつの目の色。気味わりぃー」
意識の外から何かが聞こえてくるが、自身の世界に入っている僕は、そんな雑音欠片も気にならない。
「こっち向けよ!このっ!」
コツン、と頭に何かが当たる。
ヒュンッ──
続いて腕や胴にも何かが当たるが、素振りは辞めない。何も気にならない。
「はあっ……はあっ……今日はこのくらいにしといてやるか。あんまり投げても可哀想だしな」
そんな声が聞こえ、笑い声と共に足音が遠ざかっていく。
それでも、
ヒュンッ──
僕は素振りを続けていた。
「ふぅ……」
やがて空が薄暗くなり、カナカナと虫の鳴き声が聞こえ始めた頃。
僕は素振りを辞める。
──結構経ったな
その実感と同時に襲ってくる鈍い痛みに顔を顰める。
「……っ」
額に触れれば、そこにはぬめりとした感触があった。
赤く汚れた手を見る。
「……」
どうでもいい。
そう思い、家の引き戸に手をかけた。ガタガタと音を立て、戸が引かれる。
中に入ると、そこは静けさに満ちていた。
父はまだ帰っていない。
薪に火をつけ、その場に座る。
パチ、パチ、と鳴る火を見つめながら、父の帰りを待つ。
母はいない。
僕が生まれてすぐに死んでしまったらしい。
故に今は父と二人暮らしをしている。
ちらりと、右手側に置いた刀を見る。
刀は二尺三寸ある。漆黒の鞘に収まっており、鍔はきらりと煌めき、まるで隣にあるのが自然だと言わんばかりにそこに存在している。
なぜ貧しいこの家に、こんな刀があるのかは分からないが、この刀に触れると不思議と安らいだ気持ちになることが出来た。
ガラガラと戸を引く音がする。
「帰ったぞ」
声の方に顔を向けると、父が戸を開けて家に入ってきたところだった。
「おかえり」
短く、少しぶっきらぼうに出迎える。
父は火を挟んで僕の対面に座る。
顔を上げ、僕の額の傷を見たらしい父の顔が僅かに曇る
「……またいじめられたのか?」
「いじめられてなんかないよ。ただ石を投げられただけだ」
それをいじめられてると言うんだ、と父はため息を吐いた。
「なんなら、やり返してやったらどうだ?責任は父さんがとるぞ」
父はおどけたように言う。
「……嫌だよ。やり返したらあいつらと同じになる」
それは半ば意地みたいなものだった。
「そうか……お前がそう言うなら、無理にとは言わんが……」
父は眉を寄せて不満げにしている。
おどけてはいるが、僕のことが心配なのだろう。父はしばらく不満げに僕を見ていた。
その視線に居心地の悪さを感じ、話題を変える。
「そういえば、今日の妖怪退治はどうだったの?」
父に今日の仕事の成果を尋ねた。
そう、どういうわけかは知らないが、父はこの村で唯一妖怪退治の仕事をしていたのだ。
「ん?ああ、今日も一匹仕留めたよ。最近増えてやがる。だが零、妖怪じゃなくて悪鬼な。この前教えただろう」
「妖怪も悪鬼も同じ妖でしょ。どう違うって言うの?」
「んー、そうだな。お前ももう十になるんだ。この機会に詳しく教えておこう」
父は心なしか居住まいを正し、説明を始めた。
「この世界には人や獣の他に、妖怪と呼ばれる存在がいることは知っているな?」
こくん、と頷く。
「妖怪は山や川などの自然に宿る精霊が肉体を持った物だ。だから妖怪は滅多なことでは人に干渉してこない。そして人と比べて遥かに寿命が長い。永い時を生きた妖怪は神格さえ帯びていることがあるんだ。
だが元は精霊でも、肉体がある以上彼らにも人と同じように心がある」
元精霊?妖怪にも心がある?
初めて聞くことばかりである。
僕は気になったことを質問してみた。
「心があるんなら、人間と仲良く出来るんじゃないの?」
父は顔を歪めて難しそうな顔をする。
「あー、それは難しいかもしれねぇな。なんせ妖怪は気位の高い奴が多い。基本人間を見下してるから仲良くってのは無理がある」
ふーん、と相打ちを打つ。
「それじゃ、続きいくぞ。実は妖怪の他に、まだ人ならざる存在がいる。それが、悪鬼と幻夢だ」
「悪鬼と妖怪って一緒じゃなかったの?」
「正確には違うものだ。悪鬼は妖怪が恨みや悲しみなどの激しい情念で堕ちた存在だ。この悪鬼は破壊衝動が強く、人間にも襲いかかってくる。俺が退治してるのはこういう奴らだな」
なるほど。妖怪と悪鬼の違いは分かった。では幻夢とはなんなのだろうか。
「幻夢はな……さっき説明した妖怪と悪鬼よりも厄介でな、人間の情念が起こす現象のことを言うんだ。時には物に取り憑いたりもする。こいつに自我も実体もないから普通の攻撃は通じない。だから遭遇したら逃げるか、そもそも遭遇する前に避けるかしかない」
「逃げるしかないなんて、そんなの反則じゃないか……」
「ははは、そうだな。だから、幻夢にはなるべく近寄らないようにな」
そんな無茶な……そんな現象、どうやって避ければいいのか。
父の適当さに僕は頭を抱えた。
「分かるさ、お前になら……な」
一瞬、父が悲しそうな顔をしたような気が した。しかし呟いた言葉は僕に届くことはなかった。
「……そういえば、妖怪の名前はこの村でもよく聞くけど、悪鬼や幻夢のことは聞いたことがないよ」
「それはな、一般的にはそれらの存在は知られてないから、一括りに妖怪とされちまってるんだ」
民衆を混乱させないためでもあるんだろうな、と父は付け足した。
なるほど。僕も先程までは悪鬼のことを妖怪だと思っていた。教えてもらわなければ、分からなかったことだ。
皆が知らないのは当然だろう。
では、なぜ父が知っているのだろうか。
僕は父に聞いてみることにした。
「なんで父さんはそんなことを知ってるの?」
すると、父は少し焦った様子で僕に言った。
「そ、それはだな、悪鬼退治をするにあたって、そういった知識は村長から教えられているんだ。この村の偉い人はこの知識を持ってるからな」
それならば納得である。
僕達に辛く当たるこの村の中でも、その村長は僕達に優しくしてくれるのだ。
「さあ、もう寝よう。火を消すぞ」
父はそう言って、砂を被せて薪の火を消し、布が敷いてあるだけの簡素な寝床に横たわる。
しゅるりと、父が結っていた髪を解く。
さらり、床に流れるその父の銀髪を見て、僕は綺麗だな、と思った。
あとがき
僕の空想の物語 「幻夢心伝」を読んでいただき、ありがとうございます。
長い間、投稿をお休みさせて頂いていましたが、この幻夢心伝で投稿を再開致します。
完全に空想の物語でまだ未完成の話なので、定期的な更新が難しくなるとは思いますが、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

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