
第二話 透き通る
「はぁ、はぁ、はぁ、」
山道をひたすら駆ける。
足が重い。肺が苦しい。
それでも足を止めない。
──止められない
これではまだ十分に刀を振れない。
「ぜぇ、ぜぇ、」
山道を抜け、家から少しばかり離れた草原に着く。
足元から草の柔らかい感触が伝わると、そのまま草原に倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ、」
視界一杯に広がる空を眺める。
真っ青な空を、白い雲がゆっくりと流れていき、それを陽の光がきらきらと照らしている。
僕にとってこの時間は、何物にも代えがたいものだった。
しばらくその風景を眺めていると、誰かが顔を覗き込んできた。
「やっぱりここにいた。本当にここが好きなのね」
その人物は鈴が鳴るような声で僕に声をかけてきた。
「また来たのか?どうして毎回ここに来るんだよ」
起き上がり、その人物を見る。
年は僕と同じ十歳で花柄のハイカラな着物を着ており、黒い髪を肩まで伸ばして切り揃えている。そしてそのパッチリとした大きな目が印象的だった。
「いいじゃない。ここ、私も好きなんだもの」
そう言って彼女はその場にゆっくりと座り込み、空を見上げた。
彼女、小雪はこの村の村長の孫娘である。
本来、こんな村はずれの草原など来るはずのない身分なのだが、彼女はここから見える空が好きだと言って、よく僕の前に姿を現すのだ。
──人なんか嫌いだ
一瞬、”黒いモヤ”を纏った人間達が脳裏に浮かぶ。
軽く頭を振り、その記憶を押し込め、改めて彼女を見る。
彼女は他の人間と違って”黒いモヤ”のようなものは見えず、ただその姿は透き通って見えた。
「ん、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
じーと見すぎたのか、小雪が小首を傾げて聞いてくる。
僕は慌てて小雪から顔を逸らした。
何をやってるんだ。馬鹿らしい。
逸らした顔を、いつもの仏頂面に戻す。
その顔はやけに熱かった。
「ねぇ、なんでいつも走ってるの?」
不意に小雪が聞いてくる。
まだ熱が残っている顔を見られるのが気恥ずかしく、顔を逸らしたままぶっきらぼうに答えた。
「刀を振るためだよ」
「刀ってあの……いつも振ってる?」
僕はこくりと頷いた。
「刀を振るのが好きなの?」
「……ああ、好きだよ」
少しの間を置き、僕は答える。
「だから少しでも長く振り続けていられるように、こうして身体を鍛えてるんだ」
小雪は一瞬ぽかんと口を開け、やがて目をキラキラさせながら口を開いた。
「すごいね!好きなことのために頑張ってるんだ!」
「別に……他の奴らからは気味悪がられてるし……」
これほど褒められるのは初めてだったので、ぶっきらぼうな返事になってしまう。
「それでも、私はかっこいいと思うよ」
風に髪を靡かせながら、そんなことを口にするその姿に、僕はしばらくの間見惚れていた。
──
「ありがとうね。送ってくれて」
「別に……ただ僕と会った後に何かあったら嫌だから……」
空に茜色の光が差し、村に提灯が灯り始める頃。
僕と小雪は並んで歩いていた。
周囲は徐々に民家の姿が見え始め、人々の喧騒が聞こえてくる。
──早くここを抜けよう
僕は心なしか歩くスピードを早めた。
「どうしたの?何かあった?」
小雪が心配そうに聞いてくる。
「いや、何も……」
それにぶっきらぼうな返事を返し、そのまま歩みを進める。
小雪の家へ行くにはこの一般民家エリアを抜けないといけない。
ここを抜けたら寄合所のある中央広場へと着き、そのさらに奥に小雪の住む村長宅がある。
──と、
「妖怪がこんなところにいるぞ。気味悪りぃな。こっちにくんじゃねぇよ」
横から声が聞こえてきた。
「……っ」
僕は顔を顰めながらもそちらに振り向く。
そこには僕と小雪を交互に見ながら、嫌な笑みを浮かべる同じ年齢くらいの少年が立っていた。
「ちょっと!ひどいじゃない。やめなさいよ!」
その少年、蓮太の言葉に小雪が強く反応する。
蓮太は庄屋の息子だ。
庄屋はこの村で村長、神主に次いで権力を握っている。その息子の蓮太も、子供たちの間では決して逆らえない立場にいる。
「はっ、またそいつの肩持つのかよ、小雪」
「あなたが酷いことを言うからでしょ」
「いい加減目を覚ませよ。そいつに関わると碌なことがないぞ」
「私の勝手でしょ!あなたには関係ないわ」
「……っ!」
二人の言い合いが徐々に熱を帯びていく。
「行こ!零くん」
そう言って小雪は僕の手を握り、蓮太を押しのけて歩き出した。
「……っ!おまえんとこは妖怪に肩入れしてるって噂になってんだよ!どうなっても知らないからな!!」
後ろで蓮太が叫んでいるが、それを無視して小雪はすたすたと歩き続ける。
中央広場に着く頃、僕はさっきのことを小雪に聞いてみることにした。
「小雪のとこ、噂になってるって……大丈夫なのか?」
「そんなの大丈夫よ。ただの噂だから気にしないで」
「………」
小雪はそう言うが、やはり村長の孫娘が村の厄介者と仲良くしているのはまずいのではないだろうか……
僕達親子は、村の人間からよく「妖怪」と呼ばれ疎まれている。
なぜそう呼ばれるのかは分かっていない……
ふと僕は中央広場の北側にある神社へと続く道を見る。神社へはその道をしばらく歩き、やがて見えてくる石段を登ると行くことが出来る。
僕はその神社へは一度も行ったことはない。
ただ漠然と──嫌な感じがするのだ。
神社の方角を見て、険しい顔をする僕に気が付いたのか、小雪が振り返り、僕の顔を覗き込んでくる。
「霞神社がどうかしたの?」
「いや、なんでもないんだ。もう日が暮れる。早く行こう」
今度は僕が小雪の手を引き、その歩みを進めた。
しばらく歩き続けると、この村の中でも一際立派な建物が見えてきた。
瓦が敷き詰められた屋根は重厚感を醸し出し、壁に隙間やひびなどない。庭は整然としており、手入れが行き届いている。
その見事な家の入り口に、杖をついた白髪の男が立っていた。
「おじいちゃーん!」
小雪はその男の姿を確認すると、満面の笑みで手を振った。
そのおじいちゃんと呼ばれた男──村長は小雪と僕を見た後、その深く刻まれた皺をさらに深くして「おかえり」と口を開いた。
「小雪を送ってくれてありがとう。最近物騒だからねぇ。心配してたんだよ」
「帰るついでですから……」
礼を言われることに慣れていないので、また可愛げのない返事をしてしまった。
「ほっほっほっ、それでもじゃ」
村長は愉快そうに笑い、そんな僕の頭を撫でてくれた。
「ところで……」
村長が僕の家の方角へ視線を移す。
「お主の父君は元気にやっておるかの?」
村長はその皺だらけの目をさらに細め、どこか遠い目をして聞いてくる。
「……?はい。元気ですよ」
「そうか……」
村長はそう呟き、僕に向き直る。
「もうそろそろ日も暮れる。お主も早く帰ったほうがいい」
「はい。もう行かないと……」
「気を付けて帰るんじゃよ」
「ありがとう零君。またね」
村長と小雪と別れの挨拶を交わし、村外れの家までの道を歩いた。
──
ガタガタと、立て付けの悪い戸を開き、家に入る。
しん、と静まり返っている家の中、薪に火を灯し、壁に立てかけてある刀を手に取る。
刀は漆塗りの漆黒の鞘に収まっており、鈍い光沢を放っていた。
鞘からほんの少しだけ刀を抜く。顕になった刀身は眩いばかりに煌めいている。
その刀身を見つめながら僕は物思いに耽る。
“なぜ妖怪と呼ばれるのか?”
確かに僕達親子の容姿は変わっている。僕は皆と同じ黒髪だが、目は違う。黄色味を帯びた目は暗闇の中では黄金色に光って見える。
父に至っては髪も銀髪だ。銀髪の長い髪を頭の後ろで一つに結っている。
だからと言って、妖怪というわけではないはずだ。父は少しいい加減なところがあるが、村のために悪鬼退治をしてくれている。そんな父が妖怪であるはずがない。
僕は刀身に映った自分の顔を見る。
──目が怪しく光っているような気がする
ぶん、ぶん、と頭を振ってから、再度自身を見る。
刀身にはいつも通りの自分の顔が映っていた。
──その時
ガタガタと引き戸が開かれ、父が倒れこむように家に入ってきた。
「……!?父さん!」
急いで駆け寄ると、父は「大丈夫だ」と僕を制止し、壁にもたれ掛かった。
「今日の奴は……ちょっとばかり手強かったな……取り逃しちまった」
「本当に大丈夫なの? そんなに傷だらけなのに……」
父は、ところどころ服が破けて血が滲んでおり、顔は苦痛に歪んでいる。
とても大丈夫そうには見えない。
「大丈夫さ。しばらくこの状態で寝とけば治る」
「朝になったら起こしてくれ」 と父は寝息を立て始めた。
僕はおそるおそる父に近寄り、傷を確認する。
不思議なことに、その傷はもう既に塞がりかけているように見えた──

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