
第六話 静かな夜
目を開けると、知らない天井が視界に飛び込んできた。
僕はどうしたのだろう……
確か、小雪と家に帰るために村を歩いていたはずだ。
それから──
……っ! そうだ!!
今までになく大きなモヤを見て倒れたのだ。
それじゃあ、ここはどこだ?
きょろきょろと辺りを見回す。
とても立派な室内だった。
八畳ほどの和室はよく掃き清められており、一つとして埃はない。
部屋の中央には小さな文机が置かれ、その上には筆や何冊かの書物が置かれていた。
布団から起き上がり、何気なく机の上の書物を開いてみる。
” 今日は零くんが初めて笑ってくれた。なんだか胸が温かくなった”
「……!」
その一文を読んで、僕は咄嗟にそれを閉じた。
どうやらこれは小雪の日記らしい。
いきなり僕のことが書かれていたので驚いてすぐに閉じてしまった。
「ということは、ここは小雪の部屋か……」
勝手に読んでしまったことにきまりの悪さを感じ、日記を机に置く。
その時、サーっと障子を開ける音がした。
反射的にそちらの方へ視線をやると、そこには小雪が驚いた様子で立っていた。
「零くん!起きたんだね!」
小走りでこちらに駆け寄ってくる。
「ああ、今起きたとこだよ」
すぐそばまで来た小雪に返事を返し、気になったことを尋ねてみる。
「小雪がここまで運んでくれたのか?」
一人で僕をここまで運ぶことが出来たのだろうか?
「ううん、私一人じゃ零くんを動かせなかったから、おじいちゃんが一緒に運んでくれたの」
なるほど──村長が運んでくれたのか。後でお礼を言っておかないと。
「それより、本当に心配したんだから……」
泣きそうなその声に、ここまで心配させてしまった罪悪感が出てくる。
「うん……ごめん」
「……」
沈黙が流れる。
「……一体何があったの?」
その沈黙を小雪が破る。
眉を下げ、心配そうな顔で聞いてくる小雪に、僕はあの”モヤ”のことを話してみることにした。
「あの時、石段の上にとても大きなモヤが見えたんだ。そしたら色んな声が聞こえてきて……気がついたらここにいた」
「モヤ?」
そんなものがあっただろうかと、小雪は首を傾げている。
「小雪は見えなかったのか? たくさんの色が混じり合ったような大きなモヤがあったはずなんだ」
「私はモヤなんか見えなかったけど……」
小雪は困ったような顔で考え込んでいる。
どうやら小雪には見えていなかったようだ。
あれはたまに僕が見えていたものと同じだったのだろうか?
だが、規模があまりにも違った。
あれは……なんというか、いくつものモヤが重なって凶々しくなっていた。
「私には分からないけど、おじいちゃんなら何か分かるかもしれない」
しばらく考え込んでいた小雪が、良いこと思いついた、とばかりに声を発した。
「村長……か」
確かに村長なら神社のモヤについて、何か知っているかもしれない。
「うん。きっと何か知ってるよ!私、呼んでくるね」
そう言って小雪は小走りで部屋を飛び出した。
“どうしてこんなに親身になってくれるんだろう”
そんな疑問を抱きつつ、僕はその後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
「連れてきたよ」
少しして、小雪が村長の手を引いてやって来た。
「零くんや。具合はもういいのかね?」
村長は優しい声色で僕に聞いてくる。
「あ、はい。もう大丈夫です。あの、運んでもらったみたいで、ありがとうございました」
「いいんじゃよ。どこにも怪我はないようで安心したわい」
ほっほっほっ、と村長はいつもの笑い声を上げた後、心なしか表情を固くして僕に倒れた時の状況を聞いてきた。
「して、あの場所で何があったんじゃ? 小雪から聞いたのじゃが、モヤのようなものが見えたとか……」
「はい。赤や黒などの色が混ざったモヤのようなものが神社の石段の上から見えました。それから声のようなものが聞こえて……」
「声?」
「”怖い” や “許さない” といったあんまり良い意味じゃない声だったと思います」
「ふむ……神社の方から聞こえたのじゃったな?」
その問いに頷くと、村長は何やら考え込んでしまった。
「……お主が見たというモヤについてはよう分からんが、その”声” と “神社” という場所はどうやら関係していそうじゃの」
短い沈黙の後、村長は真面目な面持ちでそう言った。
「零くんや。あまり神社には近寄るでないぞ」
「は、はい。なるべく近づかないようにします」
その村長の珍しい表情に気圧されてしまい、声が上擦ってしまう。
「うむ……もう日が暮れておる。今夜はここに泊まっていきなさい」
村長が真面目な顔でそんなことを言ってきた。
「……!」
「零くんが泊まるの? やった!」
小雪が嬉しそうに笑っている。
「あ、ありがとうございます。でもいいんですか?」
僕としては有難いのだが、小雪の両親はどうだろう?
僕が泊まるのは嫌じゃないんだろうか?
村長は僕の言わんとすることに気づいたのか、目尻を下げ、申し訳なさそうに言った。
「ああ、もちろんじゃ。じゃが、申し訳ないが小雪の父の煌牙には会わないように努めてくれるかの? 幸い煌牙は夜更けに仕事が終わる。それまでに小雪の部屋にいてほしいのじゃ」
「……わかりました。煌牙さんとは会わないようにします」
どうやら小雪の父さんは随分と僕のことを嫌っているらしい。
少し悲しかったが、村人は大半がそうであることを思い出し、心を平静に保つ。
「そうじゃ、お主の父君には伝書鳩を送っておくから安心せい」
「ありがとうございます」
それを聞いて安心した。これで父さんが心配することはないわけだ。
「ではわしはこれで失礼する。小雪と仲良くの」
そう言って村長は小雪の部屋を出て行った。すると、今まで黙っていた小雪が口を開いた。
「ごめんね、零くん。うちのお父さんが……」
「別に、謝らなくていいよ。この村の人間なら、それが普通だ」
「でも……」
小雪は何かを言いたそうだったが、言葉が出なかったようだ。
「それより小雪、あそこにある書物を見てもいいか?」
このままでは暗くなりそうだったので、話題を変えるため、部屋の棚に置いてある書物を見せてもらうことにする。
「う、うん。いいよ。見せてあげるね」
小雪はいきなりの話題転換に戸惑った様子だったが、快く頷いてくれた。
僕と小雪は棚の方へ移動して、綺麗に整頓された書物の題名を読んでいく。
『許されぬ恋』
『愛の逃避行』
『悲哀恋慕』
……なんだか、よく分からない書物が多い。
女の子とはこういった物語を読むのが好きなのだろうか?
そのまま棚を眺めていると、ふと目に留まる書物があった。
『妖異考録』
古い物なのか、所々色褪せているその分厚い書物は、小雪の部屋に置いてあることが不思議に感じるほど、仰々しくその存在を主張していた。
僕はそれを手に取り、小雪に声をかける。
「これはどういう書物なんだ?」
小雪は僕が持っている本を見ると、少しだけ口を尖らせて不満そうに言う。
「それはね、おじいちゃんが読んでおくようにって、部屋に置いていったの。村長の孫娘だから妖のことについて知っておくようにって」
難しくてまだ全然読めてないんだよ、と相変わらず口を尖らせ不満気だ。
僕はそれを開いてみる。
“妖怪の寿命について”
開いたページの一番上にはそう書かれていた。
なぜかその項目がとても気になり、そのまま読み進める。
“妖怪と人間の大きな違いの一つが寿命の長さである。妖怪は人と比べ、遥かに永き刻を生きる。数百年、時には数千年生きる妖怪も存在し、そこまで生きた者は神格を帯び、神と同列の存在になると言われている”
父さんの言っていたことと同じだ。
ごくり、と固唾を呑んだ僕は、さらに次のページをめくる。
“さて、ならば彼らのその永き寿命は、違う種族との間にできた子には受け継がれるのだろうか? 彼らにも心はあり、中には異種族、つまり人間との間に子を成すこともあるだろう。その子は果たしてどちらの寿命を受け継ぐのか?”
さらにページをめくる。
“残念ながらその記録はない。しかし、妖怪側の寿命を受け継いだ場合、その人物の人間としての部分はその孤独に耐えられるのだろうか? 人間は孤独に弱い。数百年、下手をすれば数千年生きるその孤独に耐えられるとはどうしても思えない”
「ねぇ!零くん!」
そこまで読んで、小雪が僕に声をかけていることに気付く。
「あっ、ごめん。読むのに集中しすぎてた」
「それ、そんなに面白かったの?」
小雪は心底不思議そうに聞いてきた。
「う〜ん……なんかちょっと悲しい感じがしたかな?」
「悲しい感じ?」
なにそれ? と小さく笑う。
「そうだ! ご飯ができたみたいだから、一緒に食べよ!」
ご飯? そういえば、先程からお腹が鳴っている。小雪の家のご飯……想像しただけで涎がでそうだ。
「うん。僕もお腹が空いてるみたいだ。一緒にいただくよ」
「やった。じゃあ早く行こ!」
手に持っている書物を棚に戻して、小雪と一緒に居間に向かう──
──
食事を終え、小雪の部屋に戻ってきた僕たちは眠る準備をしていた。
先程の食事はとても美味しかった。焼き魚に煮物、色とりどりの漬物、僕の家の食卓では到底見ることの出来ない料理の数々だった。
「小雪、僕はここで寝るよ」
僕はそう言って、部屋の隅の方に布団を敷く。
「そんなに離れなくてもいいじゃない。ここで寝たらいいよ」
そう言って小雪は自分の隣を叩く。
「むっ」
困ったな。女の子のすぐ隣で寝るなんて、なんだか気恥ずかしい。
「……」
しばらく睨み合いが続く。
「……わかったよ。そっちで寝るよ」
小雪が譲りそうにないので、仕方なく僕が折れることにする。
「うん!よろしい!」
小雪の隣に布団を敷いて寝転ぶ。
すると小雪が灯りを消し、部屋は暗闇に包まれる。
「ねぇ……零くんはやっぱりこの村のことは嫌い?」
布団に寝転びながら真っ暗な天井を眺めていると、小雪からそんな問いが投げかけられる。
「……」
一瞬、否定しようと思ったが、それはなんだか不誠実な気がしたので、自分の本当の気持ちを言うことにする。
「正直、僕はこの村のことが……いや、人のことが嫌いだ」
隣から息を呑む気配がする。
「それじゃ……私のことも嫌いなの?」
「……!」
僕は小雪のことが嫌いなのだろうか? なんだかそれは違うような気がする。
「いや、小雪のことは嫌いでは……ないと思う」
「ほんとに?」
小雪が不安そうに聞いてくる。
「ああ、本当だよ。小雪のことは嫌いじゃない」
寧ろ感謝している。
小雪がいなければ、僕は今よりも荒れていたかもしれない。
「よかった。零くんに嫌われてなくて……」
ほっと安堵の息をつき、「でも」と続ける、
「いつか、零くんが人を好きになる日が来るといいな。人が嫌いって、なんだか悲しいから……」
「……」
そんな日が来るのかは分からないが……僕は別にこのままでも構わないと、そう思っていた。
「もう遅いから寝るよ。おやすみ」
この話題を誤魔化すように、あくびをしながら就寝する意思を告げる。
「うん。おやすみなさい」
小雪も何も言わずに寝る体制に入ってくれた。
「……」
しばらく目を瞑っていると、次第に意識が微睡んでいく。
今日の大きなモヤは一体なんだったのだろうか……
そんな疑問が頭に浮かびながらも、眠気には逆らえず、僕は眠りに落ちた──

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