
【最終節】未来への道
三月──冬の寒さが少しずつ去っていき、暖かい陽気が顔を出し始める季節。
そんな季節に──それは起きた。
カタカタ、と音が鳴った気がした。
「……?」
気のせいか、とテレビに視線を戻した時──
身体が揺れた。
いや、正確には地面が揺れていた。
周りの物が音を立てて倒れる。
「……っ」
──地震だ
僕は咄嗟に身を伏せる。
な、なんだこの揺れは……
早く収まれ──
その場に身を伏せながら、そう心の中で唱え続ける。
その揺れは数分間続いた──
「なんだったんだ……今のは」
揺れが収まった後、僕は呆然と呟いた。
いつのまにかテレビはニュースに切り替わり、スタジオの騒然とした声が聞こえてくる。
「東北地方で地震が発生した模様です。地震の規模、震源の位置から津波の発生の危険性があります。海岸付近の方は直ちに離れるようにして下さい」
テレビからはニュースキャスターの声が聞こえてくる。
「地震の規模は震度七です!津波の危険があるため、直ちに海岸から離れてください!」
──震度七
その大きさの地震を実際に聞いたのは、生まれて初めてかもしれない。
ごくり、と唾を飲み込む。
東北の人達は大丈夫なのだろうか……
プルルルル プルルルル
そんな時、電話が掛かってきた。僕は慌てて電話に出る。
「リック、さっき結構揺れたけど、大丈夫?」
母だった。母は少し焦った様子で安否の確認をしてくる。
「うん、大丈夫だよ。物が少し倒れたくらい」
「そう、よかった……また揺れるかもしれないから気をつけてね」
母はそう言って電話を切った。
僕はこれからバイトだ。母の言うように、また地震があるかもしれないが、おそらくバイトは通常通りあるのだろう。
ニュース画面を気にしながら、バイトの準備をしていく。
バイトが終わったら詳細を確認しよう。
そう心の片隅に留め、ドアを開けた。
──
「リッキー大丈夫だったか?」
バイトに入った僕へと掛けられた最初の言葉が、そんな心配の言葉だった、
「はい。特に怪我とかもしませんでしたよ」
「そうか、それなら良かった」
アンリさんは心配気な顔から一転して、ほっとしたような顔をした。
「でも東北の方は大変らしいぞ。津波が起きて行方不明者の数が凄いことになってるらしい」
「え、そうなんですか!?」
全然知らなかった。まさかそんなことになっているなんて……
「今自衛隊が出動して、もう救助活動を始めてるらしい」
「自衛隊……」
「ああ、やっぱり自衛隊は頼りになるな。もう、救助活動を始めてるんだから」
「そう……ですね」
僕は話を聞きながら、自らの思考に沈んでいく。
──自衛隊
僕が気になっている職業だ。
自衛隊と警察の違うところは、その任務の内容にある。
警察はその地域の治安の維持を任務とするのに対し、自衛隊の任務は主に国防である。その名の通り、日本を守るために彼らは日々訓練を続けている。
そして、こうして災害が起こった際には、政府から出動要請がかかり、救助や捜索に駆けつける。
僕はそれを”かっこいい”と思った。
可能ならば、自分もその迷彩服を着てみたいとも……
だが警察と同じく、自分には不可能だと無意識のうちに諦めていた。
その自衛隊が今動いている──
自分の中で断ち切ろうとしていた想いが、ぐつぐつと燃えたぎっていくのが分かる。
ダメだ……僕になれるわけがない──そう必死に自分に言い聞かせる。
「リッキー、大丈夫か?」
気がつけば、アンリさんは再び心配気な声色で僕を呼んでいた。
「あ、はい。大丈夫です」
意識が現実に戻ってくる。
いけない。会話に集中しないと……
「自衛隊って普段駐屯地で暮らしてるんだろ。俺は出来そうにないな」
「厳しそうですよね」
ははは、と笑い合う。
「で、リッキーはならないの?自衛官」
「えっ」
いつの間にかアンリさんは真剣な表情で僕を見ていた。
「この前、西中さんと話してるとこ聞いてたんだけど、俺、リッキーだったらなれると思うよ」
「……」
言葉が出てこなかった。
なれる?僕が?
信じられなかった。一体僕のどこを見て、そこまで言い切れるのだろうか……
「ぼ、僕は……自分が自衛官になれるとは……思えないんです」
喉の奥から声を絞り出す。
「なんでそんなに自信がないんだ。俺はこの半年リッキーを見てて、君なら自衛官にだってなれると思ったよ」
「……」
それ以上声を発することが出来なかった。
黙り込んだ僕を見て、アンリさんは「まあ、リッキーが決めることだけどね」とオーダーの処理に取り掛かった──
──
夜の静寂の中を自転車で駆ける。
辺りはしんと静まり返っており、さぁさぁと風で揺れる葉の音が耳に心地よい。
バイトが終わり、僕は今家へと帰る途中だった。
バイトの途中、アンリさんの言っていたことがずっと脳内を駆け巡っていた。
あの言葉は本当なのだろうか……
そもそもどうして、僕が自衛官に憧れていると分かったのだろう。
とりとめのない思考が流れては消えていく。
やがて家に着き、玄関を開ける。
「ただいま」
「おかえり。ニュース見た?大変なことになってるわよ」
母は若干青ざめた表情で出迎えてくれた。
「知ってるよ。津波が起こって今自衛隊が救助活動をしてるんでしょ」
「そうなの。本当に……どうしてこんなことになったのかしら」
僕はリビングに行き、テレビを見る。
そこには──倒壊した瓦礫の中必死になって行方不明者を探す自衛官の姿が映っていた。
辺りは暗闇なのにも関わらず、頭にライトを差し、瓦礫をどかし、声を張り上げている。
別の隊員は腰まで水に浸かっており、足を滑らせれば、その隊員の方が危険な状況だ。
僕はそれを見て、手を震わせる。
彼らはこんなにも頑張っているのに……僕は何も出来ないのか……
自分の無力さが恨めしい。
僕も彼らのように現地に赴き、今まさに窮地に陥っている人を助けたい……
そこではっとする。
僕が本当にやりたかったことは、これなのだと──
テレビの中の迷彩を見る。
彼らは屈強に鍛えられており、その意志の強そうな姿は僕とは似ても似つかない。
でも──なれるわけがない
瞬時に暗い思考に切り替わろうとする。
“リッキーだったら自衛官になれるって思ったよ”
そんな時、アンリさんの言葉が蘇る。
なれるのだろうか──自衛官に。
思考が微かに変わる。
刹那──
僕の中にあの輝きが再び姿を現した。
あの、僕が憧れた姿だ。
それは以前、僕が捨てたと思っていた”信念”だった。
それは始まりの──
あの剣道場に足を踏み入れた時と何も変わることなく、そっと僕の中に灯っている。
テレビの中の自衛官の姿とあの主人公の姿が重なって見える。
──まだ、目指してもいいのか?
気がつけば、心が震えていた。
拳は力一杯握りしめられており、身体の内からは、まるで早く走り出せと言わんばかりの衝動が溢れてくる。
──自衛官になりたい
もう止まらなかった。
「俺、自衛官になりたい」
気付けば、そう呟いていた。
「えっ、そう……やりたいことが見つかったのね」
母は最初戸惑ったような表情をしていたが、すぐに優し気な表情に変わった。
「頑張りなさい、厳しい所だって聞いてるけど、あんたならやれる」
母はそう言って僕を激励してくれた。
「うん」
僕はそれに対し、力強く頷いた。
──
授業終了のチャイムが鳴る。
「え〜では、今日も進路面談を順番にやっていく!今日はリックからだ!リックは教室に残っておくように」
小見山先生はその大きな声を更に張り上げた。
「進路とかまだ決まってねぇよ〜」
「放課後残るのだりぃー」
周囲からは不満の声が上がっているが、小見山先生は構うことなく、「日直!」と声をかけた。
「起立!例!」
日直の号令が終わり、皆が席を立つ中、僕は席に座り直す。
僕以外の生徒が誰もいなくなると、小見山先生はこちらに来て、僕の机に他の机をくっつけて、僕の対面に座れるようにした。
「さぁ、始めるか」
席に着くと、小見山先生は話を切り出した。
「お前、進路のことはもう考えてるのか?」
どくり、と心臓が脈動する。
逸る気持ちを抑えて、ゆっくりとそれを口にする。
「はい。僕は自衛隊に入りたいと思っています」
「自衛隊か……」
小見山先生は少しだけ間を置いた。
「自衛隊は厳しいぞ。生半可な覚悟じゃ、すぐに振り落とされる。大学に進学しとった方がいいんじゃないか?」
「進学……」
「そうだ。お前の成績なら、指定校推薦で大学へ行けるぞ」
予想はしていたが、やはり反対された。
それでも──
生半可な覚悟ではない。
僕の心には、再びあの憧れた姿がある。それがある限り、僕は歩き続けていられる。
──この覚悟は本物だ
「いえ、大学へは行きません……僕は自衛官になりたいんです!」
不退転の決意でその覚悟を口にする。
「……」
小見山先生は僕の目を見たまま沈黙している。
やがて──
「そうか……わかった。その方向で話を進めよう」
僕の覚悟が伝わったのか、小見山先生はそれ以上何も言わずに、僕の希望を受け入れた。
──
四月──
桜の花びらが舞い散る中で、希望と絶望、どちらの感情も僕に教えてくれた季節。
そんな桜色の季節の中で、僕は今学校の廊下を歩いていた。
ちらりと窓を見る。
窓の外は、春風に乗って桜の花びらが美しく舞っていた。
僕はため息を吐く。
なんとか小見山先生に認めてもらえた。
最初は僕が自衛隊に行くことに難色を示していたが、僕の決意が固いことを知り、最終的には承諾してくれた。
そして──
僕にはまだ自分の”道”を報告するべき人物が残っている。
ちょうどその人物は向かいの廊下から歩いてきた。僕とその人物は渡り廊下で邂逅する。
「……」
僕は下を向き、そのままその人物に近付いていく。
「……っ」
声が出ないままその人物とすれ違う。
やはり言えないのか──
「ぐっ……」
ぎゅっと拳を握る。
いや、自分で言うんだ…‥自分の口で。
動かしていた足を止める。
僕はばっと振り返り、その人物の名を呼ぶ。
「織田先生」
織田先生が一瞬止まる。
「僕……自衛官になります」
震える声で、その覚悟を告げた──
織田先生はこちらを振り返らずに「そうか‥‥」と呟き、再び歩き出した。
僕も前を向き、歩き出す。
これは僕なりの、これからの道を歩いていくための覚悟だ。
僕は歩く。たとえこの先、どんな困難が待ち受けていようとも……
ひらり、ひらり、
窓の外を見れば、相変わらず桜の花びらが美しく舞っていた。
あとがき
第二章 未来への道を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この章は、僕が自衛官になると決意をするまでの重要な話を描いてきました。今思えば、なんて無茶な決断をしたのだと自分でも改めて驚くほど、かつての僕は自分の道を真正面から見つめ、歩む覚悟をしていました。
書いている途中、今の自分と重ね合わせてしまい、今の自分を見たらこの時の自分はなんて思うのだろうかと、胸が痛む瞬間もありましたが、読み続けてくれた皆さんのおかげで書き終えることができました。
ここのところプライベートが忙しく、読者の皆さんには非常に申し訳ないのですが、しばらく更新はお休み致します。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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