
第5節 成長の兆し
「お〜!坊主になってる。なかなか似合ってんな!」
国光部長が、坊主頭になった僕を見ながらそんなことを言った。
「ありがとうございます」
僕は似合ってると言われたことに少し照れながらも、涼しくなった頭にほんの少しの寂しさを感じていた。
「今年は1年生が4人か。結構集まったな、国光」
今国光部長に話しかけているのは、部長と同じ3年生で岩井先輩だ。
岩井先輩はとても穏やかで優しげな人だった。
だけど、僕は知っている。
彼の肉体は他のどの人物よりも鍛え上げられているのだ。
僕は彼がどんなトレーニングをしているのか、とても興味があった。
「あと3年間、きついと思うけどがんばれよ」
岩井先輩は僕にそう笑いかけた。
──やっぱり岩井先輩は優しいな
「お前、もうすぐ稽古始まるから準備しろよ。先輩を先に動かすなよ」
岩井先輩の優しさにほっこりしていると、中村先輩が僕に言う。
「は、はい!失礼しました!」
以前言われたのだが、謝る時は “すみません “ではなく、” 失礼しました ” と言うそうだ。
なぜかはわからないが、そちらの言い方の方が丁寧なんだろうか。
僕は急いでジャージに着替え、稽古前の雑巾掛けの準備をする。
僕はまだ道着は持っていないので、ジャージを着て練習をしているのだ。
「おお、来たか。じゃあ俺は織田先生の防具の準備をするから、リックたちは雑巾掛けをしといてくれ」
僕が来たのを確認すると森田が僕に指示をする。
「うん、わかったよ。ありがとう」
僕はそう頷き、雑巾掛けを始める。
森田は体育科で入学しているので、僕たちよりも1ヶ月早くこの部活に入っていたらしい。だからなのか、自然と彼は僕たち同期のまとめ役のような立ち位置にいた。
「これ、結構きついよな。俺、稽古始まる前から足が震えてるよ」
同じく雑巾掛けをしていた高井が話しかけてくる。
「うん、きついな。俺も震えてるよ」
僕も高井に同意する。
高井はとても落ち着いていて話しやすいので、僕もリラックスして話すことができるのだが、やはり僕は言葉が出てこないので、そこで会話が途切れる。
高井は気にした素振りも見せず、雑巾掛けを続けている。
ちなみに僕は、同期と話す時などの一人称は “俺” と言うようにしている。
単純にそっちの方が馴染みやすいと思ったからだ。
「よし!終わったな。もう先輩達が出てきてるから俺達も急ごう」
「そうだね」
「…はい」
雑巾掛けが終わり、高井と僕と山田の3人は急いで部室に戻り、自分の竹刀や防具を持って道場に行く。
僕はまだ防具は着けれないので、竹刀しか準備する物がない。
この竹刀も部室に置いてあった使われていない竹刀を使っている。
それでも僕には初めての自分の竹刀なので、とても愛着を持っていた。
竹刀を側に置き、道場に等間隔に並ぶ。
………
気がつけば道場は静けさに満ちていた。
やがて国光部長が前に立ち、体操開始を告げる。
「1、2、3、4…」
体操とストレッチで身体をほぐして、次はいよいよ素振りだ。
どくりどくりと鳴る心臓を感じながら構える。
「上下素振り20本。始め!!」
僕は号令と同時に正面素振りを始める。
正面素振りとは、剣道の基本の素振りだ。
膝下まで竹刀を振り下ろす上下素振りと違って、正面素振りは目線と同じくらいの高さまで振り下ろすのだ。
僕はこの素振りも鳥田コーチから教えてもらっていた。
竹刀を振り上げると同時に右足を前に出し、振り下ろす時に左足を引きつける。
「1…2…3…」
もちろん、皆と同じスピードでは出来ないので僕だけ遅れていくことになるが、それでも教えてもらったことを意識しながら、丁寧に竹刀を振り下ろす。
続く左右面素振りや跳躍素振りの時にも、僕はひたすら正面素振りを続ける。
「はあっ…はあっ…」
息が乱れていく。
「っ…」
──あともう少し
……
「足捌きの隊形!」
やがて国光部長が足捌きの号令を掛ける。
” よしっ!最後まで素振りをやり切ったぞ “
僕は小さな達成感を感じていた。
その間にも、他の皆は素早く列を作っていく。
──!?
しまった!出遅れた。
「リック、こっちだ。あんまりもたもたすんなよ」
「し、失礼しました!」
加原先輩が僕を列に入れてくれる。
皆の列を作るスピードが速くて、僕はついていけずに右往左往してしまった。
見学の時にも思ったが、皆動きがとても統制されていてキビキビ動くのだ。
僕なんかは常に気を張っていないと、ついていけない。
横一列で竹刀を構えながら順番を待つ。
どくり、どくりと鳴っている鼓動を尻目に、僕は頭の中で摺り足の手順を反芻する。
──大丈夫だ。摺り足の練習はずっとしていた。いつも通りやればいいんだ。
そう言い聞かせて、なんとか自分を落ち着けていると、順番がやってきた。
左足で床を蹴り出し、右足の母指球を床に滑らせる。その際に上体や構えた竹刀をブレさせないよう意識する。
「……っ」
やはり皆のスピードには追いつけない。
みるみる内に背中が遠くなっていく。
やがて他の皆は終わっていき、まだなのは僕一人だけになる。
──これじゃあ、足手纏いだ。
「ぐっ…」
皆、「ファイト!」と応援してくれているのが聞こえてくる。
皆が僕に注目していることに、どうしようもない羞恥を覚えるが、意識を足捌きに集中するようにする。
あともう少し…
「ふぅ…」
ようやく道場を往復できた。
だが、僕が辿り着いてから間をおくことなく、次の号令が掛かる。
「着座!!」
号令が掛かった瞬間、皆一斉に面の前に正座する。
僕は達成感を感じる暇もなく、一番端の何も置いてないところに座る。
「黙想〜!!」
目を瞑る。
「……」
場を静寂が支配する。
皆が何を考えているのかはわからないが、僕はこの静寂の時間で、様々なことを考えてしまう。
それは次の稽古のことであったり、稽古が終わった後の雑用のことなど、いずれも不安なことばかり考えてしまう。
──集中しなきゃダメだ。
僕は、はっとなり雑念を振り払おうとするが、それが成功することはない。
「やめ〜!面着け!」
皆、素早い手捌きで面を着けていく。
少し遅れているが、加原先輩や高井もそれについていく。
その後に続き、山田が面を着け終える。
やっぱり経験が大事なのか。
観察してみると、初心者で入部した加原先輩や、僕と同期の高井と山田は他の人よりも一歩遅れているように見える。
あの3人で遅れるんだったら、僕はどうなるのだろう?
想像するだけで憂鬱になる。
ダメだ。今は自分のやることに集中しよう。
僕は自分の竹刀を持って、皆とは離れた道場の端の方で、摺り足からの踏み込みの練習を始める。
これでも10回に2回は成功するようになったのだ。
練習を続けていると、道場の外から足音と話し声が聞こえてきた。
入り口から入って来たのは、鳥田コーチと見知らぬ女性だった。
──誰だろう?
僕がその2人を横目で見ながらも練習を続けていると、ダダダダッと、音をたてながら森田と寺田先輩がシャワー室に走って行った。
少ししてから、寺田先輩がパイプ椅子を持ちながら、猛ダッシュで2人の方へ向かって行き、そのパイプ椅子を女性に渡した。
その少し後を森田が走って行き、なにやら頭を下げている。
どうしたんだろうか?
僕は状況を掴めていなかった。
寺田先輩が稽古に戻ると、森田がこちらにやって来た。
「はあ、はあ、リック。言ってなかったけど、保護者の方が来たら、パイプ椅子を持って行って渡してあげるんだ。絶対に先輩より先にな。もし先輩に先にやらせたら怒られちまう」
「え…う、うん、わかったよ」
森田は頼むぜと言って、僕の胸に拳を当てて稽古に戻っていった。
──それも上下関係なのか?
僕は驚きを隠せなかった。
これまでも言われていたが、この部活では先輩の方が圧倒的に立場が上らしい。
先輩を動かすことはおろか、先輩の言ってることに疑問があったとしても、頷くことしか出来ないような雰囲気があるのだ。
僕は改めて、この部活の上下関係の厳しさを実感した。
こうしてる場合じゃない。早く練習を再開しないと。
前に少し長めに休んでいると、先輩がやってきて「休憩、長くないか?」と言われてしまったのだ。
ほんの2、3分程だったと思うのだが、どうやら休憩すること自体があまり良く思われないらしい。
先輩達から監視されていることに、少しだけプレッシャーを感じつつも、次は正面素振りをすることにした。
まず竹刀の握りから確認する。
竹刀は左手の小指を柄頭にかけて握る。
この小指はしっかりと握り込むようにする。
次に薬指も小指程ではないがしっかりと握るようにし、中指も柄にかけるように握る。
中指、薬指、小指の順に力を強くしていくイメージだ。
そして右手は柄を握らず、添えるだけでいいらしい。
これには驚いた。これではほとんど、左手の3指だけで竹刀を持っているようなものだ。
なので、正しく竹刀を握れていれば、左手の小指と薬指、中指から小指球部までを線で結んだ三角形の範囲に竹刀タコができるらしい。
僕もうっすらとその範囲にタコができているので、正しい握りが出来ているのだと信じたい。
素振りをする。
左腕で振り上げ、左腕で振り下ろす。
振り下ろす瞬間、雑巾を絞るように柄を握り込む。右腕に力を入れるのはこの時だけらしい。
「28…29…30!」
30本。今では足捌きをしながら素振りが出来るようになった。
少し息を整える。
「はあ、はあ、ふぅ…」
そして1分程のインターバルを置いて、また正面素振りをする。その繰り返しだ。
正直、もっと休憩したいのだが、先輩がそれを許してくれそうにないので、ただひたすら素振りを続けるしかない。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
皆が掛かり稽古をする頃には、もう腕に力が入らないほど疲労しており、気力だけで素振りを続けている状態だ。
──でも
僕は思う。
僕がここに来てからまだ1ヶ月も経っていない。
それでも、速度は遅いが足捌きは出来るようになり、踏み込みの感覚も掴み始めている。
そして素振りに至っては、インターバルを挟みながらだが、稽古時間の半分は振り続けられるようになっている。
“ここで続けていけば、確実に強くなれる”
僕はこの場所の厳しさに戸惑いつつも、心の中には希望の光が確かにあったのだった──

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