第一章 剣を捨てた日【第4節】問われる覚悟

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第4節 問われる覚悟

「いい?踏み込みはこうやって足の裏全体で床を捉えるの」

ダンっ!

鳥田コーチはそう言って、袴を捲りながら踏み込みをして僕に見せてくれる。

あの初めて見学した日から1週間が経ち、今は仮入部期間中だ。

その間、竹刀の持ち方や摺り足を教えてもらっていた。

この一週間で、最初の頃よりは、なんとか形になっていると思う。

そして今、鳥田コーチが見せてくれた動作が “踏み込み”だ。

踏み込みとは、竹刀で相手を打突すると同時に行う足捌きだ。

この踏み込みを行うことで、打突の威力を瞬時に高めることができるらしい。

また、一本をとるためには”気” “剣” “体”の一致が不可欠で、掛け声と打突、そしてこの踏み込みを同時に行うことで、やっと一本になるのだ。

僕は言われた通りに、勢いよく踏み込んでみた。

ドンっ!

鈍い音が響く。

「足で床を強く踏むんじゃなくて、腰は構えの位置のまま固定して、後ろ足で蹴り出すと同時に、足の裏を床と平行にするとしっかりとした踏み込みになるの」

「は、はい!」

こ、これは難しい──

もう一度試す。

ドンっ!

「…っ!」

──か、踵が痛い

「踵から床に落ちちゃダメ。母指球を床に置くイメージでやってみて」

鳥田コーチの説明はとても分かりやすい。

だが身体が付いてこないのだ。

僕は何度も踏み込みの練習をやってみるが、どうしても踵から踏み込んでしまい、鈍い音しか響かせることしかできなかった。

──ダメだ。上手く出来そうにない。

「焦らなくていいよ。踏み込みはできるようになるまで時間が掛かるの」

「わ、わかりました」

鳥田コーチは僕を励ますためか、踏み込みは初心者にとっての最初の関門だと僕に言った。

だが、

──本当にできるようになるのか?

摺り足はある程度できるようになったが、踏み込みは全くと言っていいほど、感覚が掴めなかった。

僕の中に暗い考えが湧き上がってくる。

僕はここでやっていけるのだろうか──

あの初めての見学の日から、常に僕の中に存在している不安の影。

ちらりと、その稽古の風景を横目に見る。

「「「イヤァー!!」」」 ダンッダンッダン!!

「「「ドォー!!」」 ズダンッ!!

いつ見ても、自分があの中で先輩達に混じって稽古をしている姿が想像できない。

「くっ…!」

ダメだ。また不安に押し流されそうになる。

“あの主人公のような心の強さを手に入れるんじゃなかったのか──”

ここで逃げたら、もう二度とあの背中を追うことなんかできない。

──それは嫌だ。

僕はあの背中に人生で初めて憧れたのだ。

──できることなら

僕も同じような背中で人生を切り拓いていきたいと願ったのだ。

そのためなら、どんなことでもしていく覚悟を決めた。

溢れ出した不安の影を”無理やり押し込める”

タンッ!

僕は先程よりも迷いのない心で、踏み込みの練習を再開した──

──あれからさらに一週間が経った。

この一週間で、入部希望者が3人訪れた。

3人とも経験者で、そのうちの1人は特進科で剣道2段の実力者だった。

彼はここの稽古を目の当たりにして、とても勉強と両立できそうにないと入部を辞退してしまった。

残りの2人はどうやら入部するらしい。

彼らもまた経験者だった。

僕が入部を正式に決めればこの2人と、僕より前に入部していた体育科の1人、計3人が僕の同期になる。

「リック、雑巾掛け一緒にするぞ」

僕の同期で体育科の森田が声をかけてきた。

彼は寺田先輩ほどではないが体格がよく、はきはきと喋る明るい人物だが、少し短気なところがあった。

「うん、今行くよ」

僕は森田の呼びかけに返事を返すと、雑巾を手に取り、森田とは反対方向から床を拭いていく。

数日間雑巾掛けをして思ったのだが、雑巾掛けは意外と足腰に負担がかかる。

これだけでも充分な運動になるくらいだ。

「ふぅ…」

雑巾掛けが終わり、僕は一息つきながら雑巾を直しに行く。

「リック、ゆっくりしてる暇はないぞ。今高井と山田が、階段や廊下の掃き掃除をしてくれてるから、俺らは昨日干しておいた先輩達の道着袴を下ろして置いておかないと」

「わ、わかったよ」

僕は慌てながら雑巾を直し、駆け足で2階の道着と袴を取りに行った。

ちなみに、高井と山田は同じ1年生だ。

僕たち1年生はとにかくやることが多い。

平日は8時40分から学校が始まるので、朝7時には道場に来て雑巾掛けや、廊下、階段の掃き掃除、前日干しておいた先輩達の道着袴を取り込んで、部室に置いておかなければならない。

まだしたことはないが、先生の道着袴を丁寧に畳んで顧問部屋に直したり、シャワーで使うタオルも準備したりするらしい。

そうこうしてる内に授業の時間になるので、走って教室まで行かなければならない。

──朝から忙しいな。

いきなり、ガラリと変わった環境に僕は戸惑っていた。

徹底された上下関係はもちろん、基本的に休日がないということに衝撃を受けていた。

そう、” 日曜日も部活があるのだ “

それを初めて聞かされたとき、僕は目の前が真っ暗になったような気がした。

あの激しい稽古と、この厳しい環境を毎日休みなく続ける。

気の遠くなるような話だった。

──だけど

もう決めたのだ。

ここでやっていくのだと。

「よし。これで全員分の道着と袴を配り終えたな」

森田が満足気に言う。

目の前には先輩達の道着袴が、申し訳程度に畳まれて、それぞれの位置に置かれている。

どうやら部室の中で、先輩それぞれの定位置があるようだった。

と、外から足音が響いてくる。

「リック、森田、こっちは終わったよ」

「…終わりました」

ガラガラと戸を引いて入ってきたのは僕と同じ1年生の高井と山田だった。

高井は僕より少し背が高く、ハンサムで落ち着いた雰囲気の好青年だった。

そして山田は少し変わった人物で、いつもキョロキョロしていて、たまに鼻歌を歌っている。そして僕たちに対しても敬語で話すのだ。

「お、さんきゅ。じゃあ早く授業行くぞ」

森田はそう言うと、急いで準備をし出した。

僕も時計を見る。

あと5分で予鈴がなる時間だった。

「…!?早くしないと!」

森田に続き、僕たちも準備を始める。

そして4人一緒に、急いで校舎まで駆けて行く。

──今日で鳥田コーチが言っていた、仮入部期間が終わる。

おそらく入部の意思を聞かれるだろう。

その時にはっきりと言おう。

ギュッ

校舎まで走りながらも、僕は静かに拳を握りしめたのだった──

「正面に、礼! 先生に、礼!」

今日の稽古が終わった。

僕の足捌きの練習を見てくれていた鳥田コーチが僕に問いかける。

「今日で2週間経つけど、どう?入部してやっていけそう?」

──きた

鼓動が速くなる。

憧れたあの姿と自分の覚悟を胸の内に灯す。

僕は緊張で震えながらも”それ”を口にした。

「はい!入部したいです!」

僕は精一杯の覚悟をもって、入部の意思を鳥田コーチに告げた。

鳥田コーチは少し頷いた後、真剣な顔になり僕に再び問う。

「やるって決めたからには、3年間やり通すんだよ」

僕はどくりと、心臓が脈打つのを感じた。

その言葉の意味するところは、一度入部すれば、どんなことが起こっても途中で辞めることは許さないということだろう。

僕はその言葉をとても重く受け止めた。

──引き返すなら今のうちだ

頭の中に浮かぶその言葉を、胸に灯した覚悟でねじ伏せる。

「はい!」

今度こそ鳥田コーチは満足気に頷いた。

「じゃあ、織田先生にリックが入部を決めたことを報告するから着いてきて」

そう言って鳥田コーチは僕を連れて織田先生のいる顧問室へ向かった──

「お前、入部するのか?」

僕が入部する旨を鳥田コーチが伝えると、織田先生は意外そうな顔で僕を見た。

どうやらここの稽古を見て、僕が入部を辞退すると思っていたらしい。

「はい!入部します!」

「この子はめっちゃやる気ありますよ」

鳥田コーチが僕のフォローをしてくれた。

「そうか。それにしてもお前、細いな。ちゃんと食ってんのか?」

いきなり質問を投げかけられたので、僕は慌てふためいてしまった。

「あ、は、はい。食べてます。」

あたふたする僕を見て織田先生は言った。

「お前、そんなんじゃ舐められるぞ」

僕はその意味がよく分からなかった。

人を舐めることも、舐められることもまだ実感がなかったのだ。

とりあえず僕は頷くことにした。

「は、はい」

僕が頷くと、織田先生はそれ以上何かを言うことはなかった。

「それじゃ、織田先生、私たちは戻ります」

織田先生は「おう」と返事をし、僕たちは顧問室を後にした。

「これから頑張ってね。あと近いうちに頭、剃ってきてね」

「あ、はい」

そうだ。この部活は皆坊主だった。

いよいよ僕も頭を丸める時が来たらしい。

──よし、頑張るぞ

僕はこれから始まる厳しい修練の果てで、”絶対に強くなってやる” と決意と希望を胸に抱いていた──


あとがき

第4節 問われる覚悟を読んでいただき、ありがとうございます。

この話では、現実を知って自信喪失し、入部を躊躇いながらも最後は決意する過程を描きました。

正直、この時一緒に見学していた経験者の同級生が、勉強についていけないという理由で入部を辞退した時、僕もそうしようと思ってしまいました。

でも最終的に覚悟を決めることが出来たのは、自分の中にある憧れの気持ちがあったからでした。

いつしかその憧れは、どんなに辛い場面でも僕を助けてくれる”信念”になっていったのです。

そして、織田先生の「お前、そんなんじゃ舐められるぞ」という言葉。

今思えば、そこに嘲笑や非難、侮辱の意図なく、このようなことを真っ直ぐに言ってくれる人はとても貴重だったのだと、大人になった今とても実感しています。

長くなりましたが、時間がある時にでも、次のお話も是非読んでいただけると嬉しいです。

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