第一章 剣を捨てた日【第3節】思い知る現実

歩みの記録
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第3節 思い知る現実

皆が静かにその時を待つ中、国光部長が前に出てくる。

「体操を始めます!」

そして号令をかけ始める。

「1、2、3…」

その号令は、なんと言えばいいのか、今までに聞いたことのないくらいの声の張りと、キレのいい号令で、自然と背筋が伸びるような号令だった。

体操が終わると、全員竹刀を持ち始めた。

「構え! 上下素振り20本!始め!!」

素振りが始まったようだ。

上下素振り──

竹刀を背中まで振り上げてから、膝下まで振り下ろす。

僕はこの素振りを独学で練習していたが、先輩達の素振りは、僕とは比べ物にならないほど綺麗だった。

その後も正面素振り、左右面素振り、跳躍素振りを流れるようにこなしていく。

「…っ」

僕は初心者と経験者の違いを思い知っていた。

僕は上下素振りを20本しただけでも、腕がパンパンになり、竹刀を振ることができなくなるのだ。

だが目の前の剣道部員たちは、それらの素振りはただの準備運動だと言わんばかりに軽くこなしている。

やはり独学では無理がある。

こうして実際に本物の素振りを見ていると、それが分かる。

自分はまだスタートラインにすら立てていなかった。

“ぐっ”

僕は拳を握り締めながらも、目の前の稽古を食い入るように見ていた。

「足捌きの隊形!!」

そう号令が掛かると、全員道場の端に横一列に並び、摺り足で道場の端から端まで進み始めた。

おそらく、これが僕が最初に習得しなければいけない動きだ。

皆、とてもスムーズに摺り足で移動しているが、僕が同じように床スレスレで足を移動させたら、足がつっかえて躓いてしまうだろう。

そんなことを考えている内に、先輩達は防具の前に正座し、

「黙想〜!!」

瞬間、全ての音がなくなった。

「……」

10秒ほどだろうか。

誰も物音を立てない静寂の時間が過ぎ、

「面着け!!」

その号令を聞くや否や、皆急いで面ををつけ始めた。

おそらく一番遅い者でも20秒も経っていないだろう。

これはキツいかもしれないな──

僕は手先を早く動かして何かをすることが大の苦手なのだ。

練習をしたらあんなふうに早く面を着けられるようになるのだろうか?

僕は一抹の不安を感じていた。

僕の不安をよそに、皆は”切り返し”をする体勢を整えていた。

切り返しとは1人が竹刀を立てて持ち、もう1人が左右面を打つのを竹刀で受け止めつつ、摺り足で移動していく稽古だ。

これは面をつけて最初にする準備運動みたいなものらしい。

一瞬の静寂の後、

「「「ヤァァァー!!!」」」

それを聞いた瞬間、びくりと身体が反応してしまった。

気迫がすごいのだ。

まるでその気迫が地面を揺らしているかのような、そんな衝撃だった。

「「「面〜!!!   面、面、面、面…」」」

切り返しとはこんなに高速でやるものなのだろうか…

その竹刀捌きと、道場の端から端へ移動する足捌きのスピードが予想外で、僕は “すごい” と、先ほどの不安を忘れて目をキラキラさせながら見ていた。

全員が切り返しを終えると部長は、

「基本打ち!!」

と号令を掛けた。

基本打ちとは、面、小手、小手面、胴打ち、突きのことだ。

これを順番にやっていくらしい。

「ねぇ、ずっと見てるだけじゃ退屈でしょ?構え方を教えるよ」

そう鳥田コーチは話しかけてきた。

いきなりのことで、心の準備ができておらず

「は、はい…」

と返事が吃ってしまった。

「じゃあまず足の構えから。こっちに来て普通に立ってみて」

鳥田コーチは、僕の返事を気にすることなく続ける。

僕は言われた通りに移動して、いつも通りに立ってみた。

「いい?そこから足を肩幅まで狭めて、それからつま先の向きを正面に揃える。意識としては、少し内股にする感じ」

なるほど。

確かに両足のつま先を正面に揃えようとしたら、内股気味になる。

「そう。次は左足を後ろに、右足を前に出す。体重は左足に乗せてかかとを浮かす。右足は力を抜いて少し曲げる」

僕は言われた通りの体勢になった。

──が

” これで動くのか?どうやって動くんだ? “

言われた体勢は、とても自由に動けそうになかった。

「そう。剣道は基本その体勢のまま、摺り足で動くの」

そう言うと、鳥田コーチは僕と同じ体勢になり、摺り足で一歩前に出た。

「こういう風に、左足で蹴り出して右足を前に滑らせる。そして左足を右足に素早く引き付ける。やってみて」

僕はさっきの体勢のまま、左足を蹴り出す。

右足を滑らせようとした時──

「…!?」

右足を床に滑らせることができず、つっかえてしまった。

「…っ!」

もう一度やるがまた躓いてしまう。

まさか摺り足がこれほど難しいとは思わなかった。

「まだ足の裏が出来上がってないんだと思う。焦らなくても、やってる内にできるようになるよ」

「はい…」

それを聞いて少しほっとしたが、本当にできるようになるのか?

「地稽古!!」

そんなやりとりをしていると、また部長の掛け声が聞こえてきた。

‘”地稽古?”

僕がよっぽど困惑の表情を浮かべていたのか、コーチが説明してくれた。

「地稽古は試合に近い形式で、お互いに技を掛け合ったりして実戦力を養う稽古よ」

「なるほど」

どうやらこの地稽古で自分の技を試したり、駆け引き力を養っていくらしい。

ガチャっ

その時、扉が開く音がした。

その音の方に振り向くと、あの織田先生が道着姿で出てくるところだった。

──身体が緊張で固まる

織田先生はそのまま静かに防具が用意されている場所に行き、ゆっくりと丁寧にそれらを着け始める。

やがて面を着け終えた織田先生は、ゆっくりと立ち上がる。

すると、地稽古の順番待ちをしていた部員達が我先にと走ってきた。

「お願いします!!」

と、一番最初に織田先生の元に辿り着いた人物が頭を下げる。

そして、その人物と織田先生が地稽古を始める。

僕がその勢いに驚いていると、コーチが説明をしてくれた。

「自分よりも上手い人に稽古をつけてもらった方が上達するから、みんな織田先生に稽古をつけてもらいたいの」

なるほど、と。

僕は頷いた。

先生との稽古の機会を逃さないために、あんなに急いでいるのかと。

” 皆、本当にストイックなんだな “

僕はその稽古への貪欲さに、正直気圧されていた。

やがて、織田先生が何人かと稽古をした後、

「掛かり稽古〜!!」

織田先生が叫んだ。

刹那──

「「「イヤァー!!!」」」 ダンっ!

「「「キェー!!!」」」ダダンっ!!

途切れることのない、発声と踏み込みの音が道場を震わせた。

皆、息継ぎをする間もなく打ち込み続けている。

──すごい

僕は呆然としてそれを見ていた。

声も踏み込み音も全く鳴り止まない。

自分があれをやっているところを想像する。

ダメだ。想像できない。

そもそも素振り20本で腕の限界を迎えている僕が、休憩も無しに何時間も稽古を続けるなんて、想像できなくて当然だ。

掛かり稽古が始まって1分程経っただろうか。

「やめ〜!!」

という号令が聞こえ、最後に再び切り返しを始めた。

これで稽古は終了らしい。

そして皆で横一列に並び、先生に一礼、正面に一礼してから、先輩達はそれぞれ別々の方向へ走っていった。

どうやら皆の面タオルや道着袴を回収して、洗濯しているようだった。

他の先輩はなにやら急いで着替えた後、先生の部屋へ入っていった。

” 稽古が終わった後も慌ただしいな “

と僕はそんなことを考えていた。

ふと、僕は疑問に思ったことをコーチに聞いてみる。

「あの、僕と同じ一年生っていないんですか?」

「ああ、一年生は体育科の子しかいないんだけど、今日は学校の研修でいないの」

普通科はいないのか──

さらに聞いてみると、その体育科の一年生も女子は3人いるが、男子は1人しかいないらしい。

僕が道場に来た時に、先輩が喜んでいた理由が分かった。

部員が少ないのだ。特に男子が少ない。

そして見学していて思ったのだが、ここに入部するのはかなり勇気のいることだと思う。

統制された動きにハキハキした発声。

徹底された上下関係。

“まるで軍隊だな”

僕はギリっと奥歯を噛み締める。

──自分にできるのか?

僕はこの部活の空気や稽古を実際に見て、自分がここでやっていけるとは、正直思えなくなってしまっていた──


あとがき

第3節 思い知る現実を読んでいただき、ありがとうございます。

この節では、僕が初めてあの部活の稽古を見学した時の衝撃を書いてみました。

剣道の稽古風景を観るのはこれが初めてで、その圧倒的な迫力に当時の僕は、なんだかすごく場違いなところに来てしまったと、自分には無理なのではないかと思ってしまいました。

この現実を知る瞬間は、この後の本当に覚悟を決めるための大事な出来事なので、上手く描けていたら嬉しいです。

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