
変わるもの――
それは人の心であったり、環境であったり、いろいろなものが変わりゆく。
永遠に変わらないものなんて滅多にない。
それでも――
変わりゆくもの達の中で、もしも変わらないものを見つけることができたなら、
それはきっと――
かけがえのない”還る場所”になるのだろうと僕は思う。
僕にとっての”それ”は、現在妻と共に住んでいる家の、バルコニーから見える景色だ。
僕たちが住んでいるのは高層階のマンションで、その周辺には山や閑静な住宅街、幼稚園、コンビニといったのどかな風景が広がっている。
この風景だけは、僕がまだ子供だった頃と何一つ変わらない。
というのも、この家は僕が幼い頃から両親と住んでいた実家だからだ。
僕の結婚を機に、両親からこの家を間借りして妻と暮らしている。
このバルコニーからの”変わらない風景”を見るたびに、僕はまるで――
安心するような、寂しいような、そんな複雑な感覚に陥るのだ。
思い返せば、僕は幼い頃から友達と呼べる存在がいなかった。
いや――たった1人、幼馴染と言える存在がいたのだが、その彼とも小学校高学年になる頃には徐々に疎遠になっていった。
そんな少年時代だったので、家に1人でいてゲームをしたり、アニメを観たり、バルコニーからの景色を眺めたりすることくらいしかしていなかった。
だからこそ、この風景は僕にとって、少年時代の大事な想い出なのだ。
それなのに、なぜ今この風景を見るたびに、懐かしさではなく複雑な感情になるのか――
“それ”を眺めているとき、僕はたしかに懐かしいあの頃に還っているのだろう。
でも僕自身が、この変わらない風景とは対照的に――変わってしまったのだ。
変わったからこそ、あの頃と同じ気持ちで、その風景を眺めることができない。
それをひどく寂しいと感じてしまうのだと思う。
僕は、妻と結婚生活を送る現在に至るまで、さまざまな場所に行き、たくさんの人に出会ってきた。
遠い所だと、アフリカでだって生活したことがある。
――変わって当然だ
それらの経験を経て、再び自分の生まれ育った場所に住み、あの”変わらない風景”を眺めているのだから。
でもそれは、寂しいことではあるけれど、”悲しいことではない”。
人は変わるものだ。
変わってこそ人は成長し、かけがえのない大切なものを見つけ、何かを遺すことができるのだと思う。
だからこそ、あの頃と同じ気持ちで、あの風景を眺めることができなくても、悲しいとは思わない。
それに今は、最愛の人と共にその風景を眺めることができて、とても幸せなのだ。
今度、両親の事情で家を引っ越すことになった。
このバルコニーからの風景は、もう眺めることはできなくなるだろう。
だが生きている限り、環境は変わっていくものなのだ。
――環境は変わる。
――人も変わる。
でも――このバルコニーから見える風景だけは、僕たちが引っ越したあとも変わることはないのだろう。
その、変わらないものがあると知っているだけで、僕は再びあの少年時代に還ることができるような気がするのだ。
安心と、ほんの少しの寂しさを伴いながら。
あとがき
拙い文章ですが、読んでいただいてありがとうございます。
先日、両親の事情で年明けには引っ越してほしいと言われた時に、胸の内に生まれた感情を言葉にしてみました。
この言葉たちで、誰かの心を温めることができたら嬉しいです。
このブログはまだまだ続いていくので、暇な時にでも読んでいただければと思います。


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