第一章 剣を捨てた日【第8節】背負うもの

歩みの記録
リック
リックをフォローする

第8節 背負うもの

「お前、よく頑張るよな〜」

これは予想外だったと、感心するように国光部長は呟いた。

ここは部室だ。

今は夏休みなので学校はないが、部活はいつも通りにある。しかも2部練と言って、午前と午後に分かれて稽古があるのだ。

国光部長が呟いたのは、そんな憂鬱な、稽古前の空き時間であった。

「え…そうですか?」

僕は突然の部長からの称賛?に思わず聞き返してしまった。

「ああ、お前はよくやってる。俺はお前みたいな頑張ってる奴は、応援したくなるんだ」

「あ、ありがとうございます」

まさか、国光部長からこんなに良い印象を持たれていたとは思いもしなかったので、返事が気恥ずかしさでうわずってしまった。

「でも、本当にリックは頑張ってると思うよ。初心者でここまでついてくるなんてな」

岩井先輩も、国光先輩に続いて僕を称賛する。

僕は 「ありがとうございます」 と岩井先輩にも礼を述べると、以前から気になっていたことを聞くことにした。

「そういえば──織田先生ってどんな人なんですか?すごい威圧感がありますけど…」

そう──織田先生のことを僕はまだ何も知らない。只者じゃないことは分かるのだが…

「ああ、リックはまだ知らなかったっけ?織田先生は剣道の最高段位を持ってて、日本でも有数の実力者だよ。テレビの取材を受けたこともあるんだ」

「……!?」

──絶句、とはこのことだろうか。

なんとなく、すごい人物なのではないかと予想していたが、その予想を遥かに上回っていたため、一瞬、声を失ってしまった。

「す…すごいですね…」

かろうじでその言葉だけを絞り出すことができた。

「だからあの人に稽古をつけてもらえることは、俺たちにとって貴重な経験になるんだよ」

なるほど──

普通ならば、それほどの人物から、技を学ぶ機会なんて滅多に訪れないが、ここでは常にあの先生がいるため、剣道をする者にとってここは絶好の環境というわけだ。

僕はそのことについては何も知らなかったが、実はとても幸運なのでは──と僕が舞い上がっていると、今度は岩井先輩が僕に質問をしてきた。

「リックはどうしてここに入ろうと思ったんだ?」

「動画やテレビで剣道の試合を見て、かっこいいなって思ったんです。だから、高校生になったら剣道をやりたいなって思ってたんです」

僕は、なぜこの部活に入ったかを聞かれた時用に準備していた理由を述べる。

鳥田コーチの時にも思ったが、まさかゲームの主人公に憧れて、なんて言えるわけがない。

「へぇー。テレビで剣道の試合なんかやってるんだな。でも、よく剣道やろうってなったな。しんどいだけなのに…」

岩井先輩は信じられないといった様子で、そう僕に言った。

岩井先輩は度々こういったことを言うのだ。どうやら日々の剣道の稽古に、相当うんざりしているらしい。

「加原はどうなんだ?やっぱりもう嫌気がさしてたりするのか?」

岩井先輩が、今度は竹刀の手入れをしていた加原先輩に質問をする。

「いえ、自分は剣道やってて楽しいですよ。もっと上手くなりたいって思いますし」

「うげっ…まじか…すげぇな」

加原先輩の言葉に、岩井先輩が驚いた、とばかりに首をすくめる。

加原先輩とはそういう人物だ。

僕も加原先輩と話していると、その純粋な前向きさに驚かされることが多い。

──僕とは大違いだ

同じ初心者始まりでありながら、彼は純粋に剣道を楽しみ、前を向いている。一方で、僕は常に後ろ向きの思考をしている。

文字通り毎日続く稽古に、極端な上下関係。

最近実感している自身の成長は確かに嬉しい──が、部活が始まるまでは、時間が止まって部活の時間が来なければいいと思ってしまうし、稽古中は、早く終わってくれと願ってしまう。

純粋に剣道を楽しんでるかと問われれば、とても 「楽しんでる」 とは言えない。

思わず心の中でため息を吐く──

加原先輩が眩しい。

僕の憧れた、物語の主人公になれるような人物とは、彼のような人物のことを言うのだろう。

僕の心に暗い影が差す。

つい先程褒められたことなど、もうすっかり忘れてしまい、僕の心は暗く、沈んでいた──

──

 「面取れ!!」

号令が掛かった瞬間、急いで面を取る。

紐を解いて面を外し、乱雑に手拭いを掴んで頭から取る。

その瞬間──

密閉されていた顔面に、爽やかな外気と僅かな風が触れ、まるで緑溢れる草原の中、胸いっぱいに深呼吸をした時のような、そんな爽快感と開放感があった。

今は8月だ。剣道場の中はとても蒸し暑い。

今は温暖化で全国的に平均気温が上がっているらしい。

さらに、僕たちは面や防具を着けているので、体感的には何も着けてない状態の倍は暑い。

だからなのか、面を外した直後の開放感は凄まじいものがあった。

「午後の部まで昼休憩!!」

「「はい!!」」

やっと午前の部が終わった。

午後の稽古まで昼休憩だが、僕たち一年生はその間にやることがあるのだ。

「リック。それじゃ…今日は頼んだぞ」

森田が僕に檄を飛ばすように僕の背中を叩く。

「うん。任せてくれ」

森田の激励に僕はしっかりと頷いてみせ、織田先生のいる顧問室へと向かう。

コン、コン、コン、等間隔にノックをする。

「リックです!織田先生の昼食を伺いに参りました!」

僕は「失礼します」と、ドアを開けて顧問室に入った。

部屋に入ると、僕はすぐさま正座をして、再び要件を言う。

「織田先生の本日の昼食を伺いに参りました!」

織田先生はチラシを持って、なにやら悩んでいるみたいだった。

「おう。今日はどれにしようか…。お前、どれがいいと思う?」

そう言って、僕にチラシを見せてくる。

チラシには、焼肉弁当や鮭弁当などの弁当のメニューが描かれていた。

どうやら今日の弁当を何にするか悩んでいるようだ。

──僕が決めてもいいのだろうか?

ちらりと織田先生の顔を窺う。

心なしか、普段よりも穏やかな顔をしている。

これなら大丈夫か。

僕はもう一度チラシを見て、その中から一番バランスが良くて、ボリュームがありそうな幕の内弁当を選ぶことにした。

「幕の内弁当はどうでしょうか?」

「幕の内弁当か…じゃあ今日はそれにしようか」

そう言うと、織田先生は財布を出し、お金を僕に渡した。

僕はそれを慎重に受け取ると、ポケットにしまう。

「それでは、失礼しました!」

顧問室を退室し、僕はすぐに学校の近くにある弁当屋へと走るのだった。

そう、昼を跨いで部活がある時は、僕たちが先生の昼食を用意するのだ。学校の近くに弁当屋があるので、そこまで走って行かなければならない。

最初に聞いた時は “そんな馬鹿な” と思ったものだが、何度か買いに行くうちに違和感はなくなった。

そして、頼まれた弁当を渡した後は、先生が食べ終わるまでに、急いで自分の弁当を食べなければいけない。

そうでないと、先生の食事が終わってすぐに、ごみを回収できないからだ。

先生に弁当を渡した後、僕は急いで部室に戻り、母が作ってくれた弁当を食べる。

──あまり味を感じない

急いで食べているからか、緊張しているからかは分からないが、腹は減っていたにもかかわらず、”おいしい” や “嬉しい” といった感情が湧かなかった。

弁当を食べ終わると、急いで顧問室の前に待機し、時折先生の様子を窺う。どうやらまだ、食べ終えていないらしい。そのまま待機する。

やがて先輩たちが、ちらほらと道場に現れ始めた。

もうすぐ午後の稽古が始まる。

まだか、と僕は先生の様子を窺う。

どうやらまだ食べているようだ。

そうしてる間にも、道場に人がやってくる。

既に竹刀を振って準備している者もいる。

流石に冷や汗が出てきた。

──まずい、早く準備しないと

祈るような気持ちで、またちらりと先生の様子を窺うと、今度は食べ終わった様子で、空の弁当箱が机に置かれていた。

よし、と僕は急いで顧問室の扉をノックする。

コン、コン、コン、

「失礼します!昼食を回収しに参りました!」

顧問室へ入り、空になった弁当箱を回収する。

「失礼しました!」

顧問室から出た瞬間、急いで部室に向かう。

部室に着いたら、自分の道着と袴を着ていく。弁当屋に行く時は、体操服に着替えてから行かなければいけないのだ。

そのため、再度着替えなければいけない。

と──

「早く着替えろよ。お前、ただでさえ遅いんだから」

中村先輩が僕を急かすように言ってきた。

「は、はい!」

どうも、僕は中村先輩から良く思われてはいないらしい。

理由はなんとなく想像がつく。

それは僕が何事にも鈍いからだ。

僕は頭が良くないのか、人の話を理解するのも遅く、また、行動も他の人間より一歩遅れる。手先が不器用なため、当然作業も遅くなる。

そして僕はよく言葉に詰まり、おどおどした態度をとってしまう。

中村先輩は、僕のそういったところが気に入らないのだと思う。

僕も中村先輩が相手だと、よりおどおどしてしまっている自覚がある。

怖いのだ。

彼からは僕に対する否定の言葉しか出てこない。だからなのか、彼に対しては必要以上に萎縮してしまう。それがまた彼にとっては癪に障るのだろう。

──悪循環だった

とにかく、急いで着替えを終わらせよう。

僕は震える手を抑えながら、袴の帯を締めるのだった──

──

「イヤァー!!」  

ダンッダンッと、小手面を連続で打つ。

僕は先輩達の小手面打ちを見ているうちに、なんとか形だけは、それらしく打てるようになっていた。

「左足が残ってるぞ!」

「はい!」

──難しい

小手面を打つ時は二回続けて踏み込みをしなければいけない。

左足で踏み切り、右足で踏み込む。

本来はそれを素早く二回続けないといけないのだが、僕は一回の踏み切りに二回踏み込みをしてしまっているらしい。

だから左足が残ったまま打ってしまうのだ。

理屈は理解できても身体がついてこない。

もっと素振りをした方がいいのだろうか──

頭の中で、家に帰った後も素振りをしようかと考えていると、「整列!!」と号令が掛かった。

「これから国光の指示通りに技を出していくこと!いい?」

鳥田コーチが次の稽古の説明をする。

僕は初めてやる稽古だ。

どんな稽古なのだろう?

元立ちに3年生の先輩が立つ。

「面、小手、小手面、始め!」

「イヤァーー!」

ダンッ!ダンッ!ダダンッ!

皆、指示通りに技を打ち込んでいく。

元立ちは、絶妙に間合いを取りながら後ろに下がり、連続で技を打たせている。

なるほど。あれと同じようにやればいいのか。

僕はこれがどういった稽古なのか理解することができた。

僕の番が来る。

「ヤァーー!メェーーン」

ダンっ、ダンっ、ダンダンっ!

最後の小手面はやはり先輩のようにはいかなかったが、最後まで打ちきることができた。

よしっ!いけるぞ!

僕はこれならついていけると確信した。

「面、小手面、胴、面、始め!」

──!?

今…なんと言ったのだろう?

早過ぎて聞き取れなかった。

皆…聞き取れたのか?

周りを見る。

皆、淀みなく技を連続で打ち込んでいく。

──僕だけなのか?

背中に一筋、嫌な汗が流れる。

僕の番がきた。

「イヤァーー!」

面、小手、面、胴?

ダンッ!ダン……!?

次に何を打つのか、頭の中が真っ白になってしまい、途中で止まってしまった。

「リック!何やってるの?次は小手面、胴、面よ!」

元立ちの女子の先輩が教えてくれる。

「は、はい!失礼しました!」

もう一度技を打っていく。

今度は最後までやり通すことができた。

胴打ちはまだ見れたものではないが──

僕はまた後ろの列に並んで、耳を澄ます。

次は正確に指示を聞き取るために──

やがて次の号令が掛かる。

「面、小手面、面、面からの引き胴、面、始め!」

──最早何も聞き取れなかった

最初の面、小手面までしか聞き取れず、またもや狼狽しながら順番を待つ羽目になってしまった──

「もう面打ちでいいから打ちなさい」

何度目かの失敗を経て、遂に鳥田コーチから言われてしまった。

僕が途中で止まるせいで稽古が進まないからだろう。

「ちゃんと聞き取れるようにならないと駄目だよ」

「はい!ありがとうございました!」

──た、助かった

だが、これから先もこの号令を聞き取れなければ、何度も同じことを繰り返してしまう。

──でもどうやって?

僕は途方に暮れていた。

次から次へと出来ないことが増えていく。

その度に叱責されてしまう。

「掛かり稽古!!」

号令が掛かる。

悩むのはやめだ。今は稽古に集中しよう。

「イヤァーー!!」

僕は先程の不甲斐ない自分を振り払うように、渾身の掛け声を上げ、元立ちに掛かっていく。

元立ちが面、小手、胴と打突部位を開けてくれるので、そこに打ち込んでいく。

「メェーーン!!」 

ダンッダンッ!と全て打ち終える。

礼をする。

また別の相手に掛かっていく。

「イヤァーー!!!」

僕は何も考えなくてもよくなるように、全身全霊で相手に掛かっていった──

──

稽古が終わり、雑用も終わって後は帰る準備を残すだけとなった空き時間。

僕は織田先生に呼ばれて顧問室に向かっていた。

──なんだろうか?

何かしたのだろうか──と少し不安を覚えながら、道場を歩いていく。

コン、コン、コン、とノックをする。

「リックです!織田先生に呼ばれたため、参りました!」

おお、入れ。と中から声が聞こえてくる。

「失礼します」

僕が部屋の中に入ると、そこには鳥田コーチと眼鏡をかけた織田先生がいた。

珍しいな、と思った。

織田先生が眼鏡をかけているところは滅多に見ない。

それほどリラックスしているということなんだろうか?

「おう、そこに座れ」

「は、はい!」

僕は織田先生に指示された位置に正座をする。

「鳥田、あれ持ってこい」

「はい。ちょっと待ってくださいね」

鳥田コーチが奥の棚から、何かを取り出してこっちに来る。

「はい、リック」

目の前に置かれた物は、防具一式と道着袴だった。

これは何だろうか?

僕が疑問に思っていると、織田先生が口を開いた。

「お前、これ使えや」

織田先生はそれだけ言うと、後は喋ることはなかった。

くれる、ということなんだろうか──

「よかったね!リック。織田先生がくれるみたい」

「あ、ありがとうございます!」

僕は呆然としていたが、慌ててお礼を言う。

「大事に使わせていただきます!」

そして僕はその防具一式を持って顧問室を退室した。

部室に戻った僕は、何の用事だったのか尋ねてくる部員達に、先程貰った防具と道着袴を見せた。

「それ、織田先生が使ってた防具じゃないか!?」

「買ったら数十万円はするぞ!!」

皆、驚いていた。

それを聞いて僕も驚いていたが、なぜ僕に?

「織田先生から認められたんじゃないか?お前、頑張ってるからな」

国光部長が興奮した様子で言った。

「あの人に認められるって光栄なことだと思うよ。やったなリック」

岩井先輩も驚きながらも喜んでくれているようだ。

「はい。嬉しいです」

歓喜の感情が段々と込み上げてくる。

──僕が認められた?

──やった!

先程まであった心の影が消えていくのを感じる。

──でもどうして僕に?

確かに稽古は頑張っていると思う。

だが、叱られてばかり、後ろ向きな考えばかりの僕が、あんなにすごい人から認められるなんて──

改めて”それ “を見る。

長く使い込まれてきたのか、防具は色褪せていて、独特の風格のようなものを感じ、その中でも胴は深い光沢を放っている。

道着は手に持つとずっしりと重く、全て綿でできているのか、分厚い手触りだ。

袴も色褪せていて、織田先生の名前がフルネームで刻まれている。

これを身に着けてこれから剣道をするのか──

ぎゅっと拳を握る。

──?

何か左腕に違和感を感じたが、気のせいだろう。

──期待に応えてやる!

僕は歓喜の感情と、正体のわからない重い何かを胸に、これからもやっていこうと改めて決意をした。


あとがき

第8節 背負うもの、を読んでいただきありがとうございます。

この話は、自分の弱点や、嫌いな面をこれでもかと見せつけられ、意気消沈した後に、先生から防具を譲り受け、認められたと感じてまた希望が灯る。そんな心情を描きました。

先生から防具を貰った時、とても嬉しく感じて、もっと頑張ろうと思ったことは事実でしたが、それと同時になぜか、胸の中にある重りのようなものが増えたような気がしたのです。

そんな当時の僕の、次のお話も読んでいただけると嬉しいです。

コメント