第一章 剣を捨てた日【第7節】変化

歩みの記録
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第7節 変化

ミーン ミーンと蝉の鳴き声が聞こえてくる7月初旬。

僕は小見山先生の現代文の授業を聞きながら、窓の外を眺めていた。

梅雨はもう明けており、空は夏特有の鮮やかな青が広がっている。

“綺麗な空だな”

僕は目線を空に固定し、ぼんやりと眺めながらそんなことを思った。

僕は昔から、何も考えずに空を眺めるのが好きだ。特に夏の、あの鮮やかな青色は見ていてとても気持ちが良い。そこに蝉の声や風鈴の音なんかが聞こえてくると、思わず寝入ってしまいそうになる程に心が安らぐ。

だからなのか、僕は夏が好きだ。

山や海に、共に遊びに行く友人はいないけれど、虫の声、夏の空気や色を感じられるだけで僕は満足していた。

ふと視線を教室に戻す。

授業中だというのに、クラスメイトの多くは眠っている。眠っていなくても、隠れて携帯電話を触っている者もいる。

真面目に授業を受けている生徒はほんの僅かだ。

そんなクラスだが、僕は未だに馴染めずにいた。既に入学式から3ヶ月経っているが、相変わらず僕は、友人はおろか軽く雑談を交わす相手もいない。

僕が部活動で四苦八苦している間に、教室では皆それぞれのグループや人間関係を構築していたのだ。

高校では友人を作ろうと思っていたので、残念ではあるが、それ以上に部活での負担が大きく、実のところそれほど落ち込んではいなかった。

と、授業終了のチャイムが鳴る。

「はい!3限目の授業はこれで終わり!次は選択授業だから、移動する奴は教室間違えんなよ!」

小見山先生は授業終了の旨と、次の授業の案内を大声で言いながら、日直に礼をさせて教室を出て行った。

先生が教室を出て行った瞬間、居眠りしていた生徒達が起き始める。

「次は選択授業だってよ」

「じゃあ、あいつ来るのか?またからかってやろうぜ」

クラスの中でも、一際目立つグループが話している声が聞こえてきた。

僕はちらりとそちらを見る。

話しているのは5人程のグループだ。

その内の2人は入学式の日に僕に話しかけてきた “やんちゃそうな” 2人だった。

その2人は、入学式の日に金髪に染めていた髪こそ校則通りの黒色に染めてはいるが、ズボンを腰までずらしており、髪はワックスでカチカチに固めていて、不真面目な生徒といった風貌だった。

名前は確か、星田と吉田だった。

背の高い方が星田で、低い方が吉田だったと思う。

その彼らのグループが、どうやら選択授業でこちらの教室にやってくるある女子生徒の話をしているらしかった。

そうなのだ。僕のクラスに女子生徒はいないが、他の教室には数人女子生徒がいるところもあったのだ。

そんな珍しい女子生徒がこちらの教室にやってくるので、もちろん彼らが興味を持たないはずがない。

だが──

どうやらある1人の女子生徒の容姿が、彼らのお気に召さなかったらしい。

日頃から彼女の容姿を貶める言葉を、彼らはさも愉快そうに口にしていた。

僕はこういったことが嫌いである。

人が人を嘲笑する時の顔を見るのが、たまらなく不快なのだ。特に彼らは変えようのない、生まれついての容姿を嘲笑っている。

それを知った本人はどう思うのだろうか──

答えは明白だ。

その場では、場の” 空気 ” に合わせ、おどけて笑うかもしれない。彼女はそういう性格だったと思う。

だがその裏で、彼女の心には深くて消えない傷が刻まれることになるだろう。

「良いこと思いついた!この黒板であいつを迎えてやろうぜ」

そう言って彼らは、彼女の容姿を貶す言葉を黒板に書き始めた。

その内容は「ブス」や「豚」など、どれも酷い内容のものだった。

やがて、それらの言葉を書き終えると、彼らは満足気に笑っていた。

僕は静かに席を立つ。

黒板まで歩いて行き、黒板消しを持つ。そして無言でその醜く描かれた言葉たちを消した。

僕は無言で席に戻る。

「………」

彼らはしばらく呆気にとられていたが、やがて何が起こったのか理解した彼らは、邪魔された怒りで、こちらに敵意を向けてきた。

「何してんだよおまえ!!」

「おい!!リック調子乗んな!!」

僕はそれらの言葉の嵐を受け流し、狸寝入りを決め込んだ。

まだ彼らはぶつぶつ言っているが、それ以上特に何かをしてくることもなく、無事に他の生徒も来ることができ、次の授業が始まった──

──くそ、やっぱり面を素早く着けるのは難しい

僕は焦る気持ちで面紐を結びながら、もう既に並んで待っている皆の方を見た。

今は部活の時間だ。

僕が面着けに戸惑っているので、僕が着け終わるまで皆待ってくれているのだ。

僕はつい先日、遂に防具を着けることを許された。防具はもう誰も使っていない埃を被っていた物だが、僕はとても嬉しかった。

これで皆と同じステージに立てる、と。

だが一つ問題があった。

それは僕が不器用なことだ。

僕自身は練習さえすれば、皆のように素早く面着けが出来ると思っていた。

しかし、女子の先輩に僕の面を着けるところを見てもらった時、僕の指の動きを見るなり、凄い不器用だと太鼓判を押されてしまった。

それから何度も練習したが、実際に皆と同じタイミングで面を着け始めたらこの様だ。

背筋に嫌な汗が流れる。

皆の視線が痛い。

早くしないと….

「……」

よし!できた。

ようやく面を着け終えた僕は、「失礼しました」と一言伝えて、皆の列に入った。

「もうちょっと早く着けれるようにしろよ」

中村先輩から注意された。

「はい!ありがとうございました!」

僕がそう言うと、中村先輩は列に戻っていく。

この返事に僕は最初、違和感を覚えたのだが、何か指摘された時や教えてもらった時は” ありがとうございました “と言うのが正解らしい。

それ以来、僕は注意された時は” ありがとうございました “と言うようにしている。

「切り返し!!始め!!」

と、切り返しの号令が掛かった。

「やぁー!!」

掛け声を上げ、僕は元立ちの先輩に左右面を打ち込む。

元立ちとは、相手の技を引き出し、打突を受ける側のことを言う。

「面!面!…」

先輩は僕の左右面を竹刀で交互に受け止めている。

実際に切り返しをやってみて思ったのだが、打突の際に手の内をしっかりと絞めなければ、逆にこちらの竹刀が元立ちの竹刀に弾かれてしまう。

僕は竹刀が弾かれないようにしっかりと、一本、また一本と打ち込む。

もちろん、先輩と同じように高速で切り返しは出来ないので、ゆっくりとした速度ではあるが。

「やぁー!!メーン!」

最後に面を打ち、元立ちの脇をすり抜けて終わる。

列に戻った僕は先輩の切り返しを見る。

「ヤァーー!!メェーん!!メェメェメェメェーン!!」

パパパパンと竹刀を激しく弾く音が響く。

おそらく一呼吸で切り返しをしているのだろう、僕とは比べ物にならない速度である。

──どうやったらあんな風に出来るのだろう?

僕は先輩の姿を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

「基本打ち!!」

僕がぼんやりとしていると、基本打ちの号令が掛かった。

──危ない危ない。ちゃんと集中しないと

僕は急いで意識を現実に戻した。

基本打ちの号令が掛かると、4人ほど先輩達が前に出てきて、元立ちになる。

僕は「面打ちをお願いします!」と先輩に告げ、構える。

──落ち着いて、しっかりと大きく面を打つんだ。

僕は「やぁー!」 と掛け声を上げながら摺り足で間合いに入る。そのまま大きく竹刀を振り上げ、相手の面に竹刀を振り下ろす。

パァンと小気味よい音が鳴ると同時に踏み込み、そのまま相手の脇をすり抜ける。

──よし!いいぞ。綺麗に決まった!

どうも僕は面打ちが綺麗らしい。

この間、鳥田コーチから直接褒められたのだ。その出来事は僕にとって、決して小さくはない自信に繋がる出来事だった。

心なしか、面打ちをする時は、堂々とした気持ちでいられるようになったと思う。

そのまま面打ちを二本してから、先輩にお礼を告げて列に戻る。

次は小手打ちだ。

また僕の番になり、次は加原先輩と向き合い構える。

「やぁー!!」

摺り足で間合いを詰め、今度は相手の小手に竹刀を振り下ろす。

パコンっと小手を叩く音が鳴り、相手の脇をそのまますり抜け、相手に向き直る。

すると、加原先輩がこちらに歩いてきた。

「打ち終わってからすり抜ける時、一旦身体が止まって摺り足の速度が落ちてるぞ。打った勢いのまま脇をすり抜けるんだ。わかったか?」

「はい!ありがとうございました!」

なるほど。

確かに小手を打ち終わった後は、摺り足がしづらいと思っていた。

次は意識してやってみよう。

その後も何度か小手打ちをやったが、どうしても打った直後に身体の勢いが止まってしまう。

おそらく踏み込みをした後に、足が一度止まってから摺り足をしてしまっているのだろう。

そこまで思い至ったところで、寺田先輩がパイプ椅子を入り口まで走って持ってくるのが見えた。

──しまった!?

保護者が来ていることにまったく気づかなかった。それは他の同期も同じだったらしく、僕と同じタイミングで走り出す。

「お前ら…もういいわ」

保護者にパイプ椅子を渡し終えた寺田先輩のもとに辿り着くと、先輩は不機嫌そうに言い放った。

「「失礼しました!!」」

僕たちは謝罪するが、先輩は何も言わず稽古に戻って行った。

「はぁ〜。俺もいつも早く気づけるわけじゃないから、お前らももっと気をつけてくれよ…」

森田が勘弁してくれといった様子で、僕達に注意を促す。

実際、森田は僕達に比べて早く動けるし、よく気づく。

「すまんな森田、俺らももっと気づけるようにするわ」

「ごめん」

「…ごめんなさい」

高井が森田に謝罪をし、続いて僕も山田も謝罪する。

「おう、まあ次気をつけてくれたらいいや」

森田はそう言って稽古に戻って行った。

「それじゃ、俺達も戻るか」

高井もそう言って森田の後に続いた。

僕もそれに続くが、内心穏やかではなかった。

──こんなにも分からないものなのか?

先輩が動くまで全然気がつかなかった。

おそらく面を被っているからだろう。

面を着けるようになって思ったのだが、面の中は閉鎖空間だ。外の音はどことなく遠く聞こえ、気配も感じづらい。

この状態で稽古の掛け声が飛び交う中、来訪者の訪れを素早く察知するのは至難の業だ。

次また先輩を動かすようなことがあれば、今度こそ激しく責められるだろう。

ただでさえ面着けの遅れや、雑用のことで毎日のように叱責されているのに──

僕はまた一つ心配事が増え、心の中でため息を吐くのだった。

「地稽古!!」

地稽古の時間になったみたいだ。

皆、それぞれの技を磨いている。僕はまだ基本打ちしか出来ないので、この時間でも面打ちと小手打ちを繰り返している。

しばらく先輩達に基本打ちを受けてもらっていると、女子部員の先輩が僕に、「織田先生に稽古をお願いしてきなさい」と言ってきた。

僕はその瞬間、緊張でどくんどくんと鼓動が早鐘を打ち始めるのを感じた。

──い、行きたくない

織田先生がただそこにいるだけで緊張でどうにかなりそうなのに、竹刀を構えてる状態で向かい合うなんて──

「はい!分かりました!」

そんな心の声とは裏腹に、僕の口ははきはきと了解の返事を伝えていた。僕もこの環境に順応したのか、先輩や先生が言ったことに対して、頷く以外のことが出来ない。

「よし、じゃあ行って来なさい」

先輩はそう言って、僕の背中を織田先生の元へ導くようにそっと押した。

一歩、また一歩と織田先生の列へ近づいていく度に鼓動が早くなっていく。

──もうやるしかない

先輩に言われた以上、やるしかないのだ。

“覚悟を決めよう”

僕は列に着き、自分の番を待つ。

しばらく織田先生と先輩の稽古を眺めていたが、やがて僕の番がやってきた。

織田先生と向かい合う。

どくり、どくりと鳴る鼓動を感じながら「面打ちをお願いします!」と大きな声で伝える。

織田先生は静かに頷き、構えた。

僕も先生に倣い、構える。

「………」

不思議だった。

先生は普段そこにいるだけでも、まるで空気が重くなったかのような威圧感を放っている。

だが──竹刀を構えた先生からは、普段の威圧感は消え失せ、むしろ清流のせせらぎのような穏やかさと静けさがある。

ごくり、と僕は固唾を飲んだ。

そして──

「イヤァーーー!!!」

腹の底から、全身全霊で掛け声をあげながら間合いを詰める。

間合いに入った瞬間、腕を大きく振り上げる。

「メェーーン!!」

パァーン!とまるで夏の青空のような爽快な音が鳴った。

脇をすり抜け残心をする。

もう一度だ。

「イヤァーー!!」

「メェーーン!!」

再度、パァーン! という音が鳴り、僕が残心をすると、織田先生はもういいぞと言うように竹刀を納めた。僕は慌てて「ありがとうございました!」と礼を述べ、その場を後にした。

──やったぞ!!

未だにどくり、どくりと煩い鼓動を尻目に僕は心の中で拳を握りしめていた。

──あの織田先生と相対して、面打ちをしてきた

たったそれだけのことだが、僕には大事を成し遂げたような達成感があった。

「おい、早く次の列に並べよ」

「は、はい!」

少し余韻に浸りすぎたみたいだ。

集中しないと──

──「ただいま」

部活が終わり、家に着いた。

「おかえり、今日は部活どうだった?」

いつものように母が出迎えてくれて、今日一日のことを聞いてくる。

「うん、今日も疲れた」

「部活、毎日だからキツイでしょ。でもなんだか顔つきが逞しくなったんじゃない?」

母が僕の顔を見ながらそんなことを言ってくる。

「そうかな?」

母は「そうよ」と頷いている。

実は僕も感じていたことだ。

鏡で見る自分の顔が、ここ最近明らかに変わっている。以前はもっと、ぼんやりとした顔をしていたと思うのだが、今では少し凛々しくなっているような気がする。

まだ3ヶ月しか経っていないのに──

そういえば、今日の学校での出来事。

やんちゃなクラスメイトが黒板に書いた悪口を、僕は皆の前で消すという行動をとれていた。

実はあの時は席を立つ前に、それはそれは壮絶な葛藤があったのだが、僕は行動に移せていた。

黒板を消す時も皆の視線が恐ろしく、手が震えていたのだ。

だがそれでも──

僕は自分が正しいと信じた行動をとれていた。

──僕は強くなれている!

やはり、あの時の “入部をする” という決断は間違っていなかった。

僕の胸には歓喜と希望の光で満ちていた──


あとがき

第7節 変化を読んでいただき、ありがとうございます。

この7節では、僕が自分の変化を初めて感じた瞬間を描きました。この時の僕は、自分の信じた正しさを突き進んでいける力と、おかしいと思ったことをおかしいと言える力を持っていました。

その判断基準はまだ未熟で幼かったかもしれませんが、この時の僕は今の自分から見ても眩しく感じるほど真っ直ぐに輝けていたと思います。

今の僕にはない輝きを持った当時の僕の物語を、この先も読んでいただければと思います。

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