
第11節 疲労骨折
「これは折れてるね」
医者は眉間に皺を寄せ、パソコンを見ながら僕にそう告げた。
その診断に、僕は思いのほか冷静だった。
どこかでわかっていた──
腕を動かせば襲ってくる激痛。
腫れ上がって肥大した腕。
これで骨が折れていないほうが不思議だ。
「君は剣道をしていて、こうなったんだったね。そして怪我の原因で思い当たる節として、試合中に相手の面金に腕が当たったと」
「はい。そうです」
「その前から違和感もあったと」
医者は手元のファイルにすらすらとペンを走らせながら、確認するように僕に質問をしてくる。
「はい。一週間程前からありました」
「一週間前…と」
医者はファイルを書き終えたのか、ペンを置き、僕の骨折についての詳細を話し始めた。
「君が骨折してる部位は尺骨といって、前腕部の外側に位置している骨だ。この尺骨は剣道では主に、竹刀を振る時に負担が掛かる骨なんだ」
「そうなんですか…」
あまり理解できなかったが、素振りによって負担が掛かる骨だということはわかった。
医者はそのまま続ける。
「だから、面金に当たっていきなり骨折したとは考えにくい。おそらく以前から素振りなどにより、骨に負担が掛かっていって、弱まったところに強い衝撃が加わり折れてしまったのだと思います」
そう言うと、医者はいったん口を閉じた。
面金にぶつかったのが原因じゃなかったのか──
素振り──思い当たる節がある。
あの稽古についていくために少しばかり無理をしていたと思う。
それが原因か──
医者の説明を聞いて、僕は一瞬で原因らしき事柄の見当がついた。
「おそらく疲労骨折でしょう」
少しの間、口を閉ざしていた医者がその診断結果を僕に告げた。
──疲労骨折
聞いたことがある。
たしか運動のしすぎが原因の骨折だったはず。骨折と言うからには相当な運動量じゃないとならないはず。
まさか自分がなるなんて──
たしかに無理をしていたと思う。だが骨が折れるほどとは思わなかった。
「しばらくはギプスで固定しておくように。それと、定期的に病院に通うこと。もちろん剣道なんかしたらダメだよ」
「はい…」
声が暗くなってしまう。
先生になんて言えばいいのだろう。
怒られないだろうか。やはり骨が折れてるのだから、二ヶ月は部活はできないだろう。
僕は肩を落としてため息をつくが、同時に心のどこかでほっと安心している自分がいた。
その後、処置室でギプスをつけてもらった僕は待合室で母と合流した。
「骨折れてたの!?痛かったでしょ、可哀想に」
母はギプスをしている僕を見て少し大袈裟に思うほど心配していた。
「大丈夫だよ。固定しとけば治るって言ってたし、部活の方にも報告しないと」
母は「そう」と言って、それ以上は何も言わなかったが、まだ心配そうにしていた──
──
翌日、ギプスをしてきた僕に、クラスメイト達は驚き、中には僕に直接聞いてくる人間もいた。
僕が疲労骨折だと言うと、そのクラスメイトは「へー頑張ってんだな」と言って自分の席に戻っていった。
やはりギプスは目立つな。
普段話しかけてこないクラスメイトが話しかけてきたりする。
僕はというと、人との会話は幾分できるようになっていた。といっても、相手の目は見れないし、まだ吃ってしまうこともある。
だが入学式の時よりは、人とのコミュニケーションがとれるようになっていた。
「これで終礼を終わる!!日直!」
「起立、礼」
小見山先生が終礼終了を告げ、日直が号令をかける。
僕はすぐに教室を出て、走る。
骨折をしていたとしても、おそらく歩いていれば叱責は免れないだろう。
僕は片腕でバランスをとりながら剣道場まで走っていった。
「はぁ…はぁ…ふぅ」
剣道場に着いた僕は、少しだけ乱れた息を整え、部室に行く。
ドアを開け、「おはようございます!」といつものように挨拶をすると、今来ている数名がこちらを見て、ギョッとして驚いていた。
「お前、やっぱり骨折してたのか!?」
「腫れ上がってたもんな」
「大丈夫なのか?」
皆、口々に僕の腕について話している。
「織田先生に報告しないとな。もうすぐ来ると思うから、すぐに報告した方がいい」
「はい!」
緊張してきた。
織田先生はどんな反応をするのだろう。
考えたら不安になる。とりあえず雑用をしないと。
「雑巾がけ行ってきます!」
「おう、無理すんなよ」
僕はいつものように雑巾を準備し、雑巾がけを始める。
ところが、両手の時と同じようにすると、バランスを崩してうまくできない。
今は左腕が使えないので、いつものようにすると、重心が安定しないのだ。
僕は迷った挙句、右半身に体重をかけることで、うまく重心を安定させた。
途中、高井が道場にやってきて、ギプス姿で雑巾がけをしている僕を見て、驚きながらもこう言っていた。
「そりゃ、折れもするよ。初心者がやる量じゃなかったもんな」
やはり僕のやっていたことは普通ではなかったらしい。他の場所も知らず、初心者も僕一人だけなので、どういった稽古をするのが一般的なのかわかっていなかったのだ。
そのまま雑巾がけをしていると、今度は織田先生がやってきた。
──来た
僕は内心ビクビクしながらも挨拶をする。
「おはようございます!!」
「おう……っ!?」
僕の挨拶に返事を返そうとした先生はしかし、その途中で僕のギプスが目に入ったらしく、目を丸くして驚いていた。
「お前、折れてんのか?」
「はい…疲労骨折と言われました」
「疲労骨折?」
珍しい言葉を聞いたというふうに声を発すると、先生は少し考え込んだ。
とりあえず怒られはしないようだ。
──よかった
僕は心の中でほっと安堵のため息をついていた。
と、織田先生が話し出した。
「疲労骨折ってお前、素振りして骨折れたのか?」
「激しい練習で骨が脆くなってたみたいで……こうなりました」
「そんなん初めて聞いたぞ。お前、よっぽど骨が弱いんだな」
心にズシンときた。
僕の身体は他の人よりも弱いのだろうか──
今までどんなに辛く激しい修練でも、それを人一倍していれば、やがて誰にも負けないくらい強くなれると、そう思っていた。
だが──
その結果、先に身体が限界を迎えたのだ。僕の骨は他の人よりも弱く、苛烈な修練には耐えられないのかもしれない。
「はい…」と僕はかろうじで返事を絞り出した。
もしかしたら僕には、あの憧れの人物のようにはなれないのかもしれない。そんな仄暗い考えが頭を過ぎる。
──そうだ。どうせ僕なんか人より臆病で、会話も満足にできなかった。それにどうやら骨も弱いらしい。なれるわけがないのだ。
そんな半ば諦めのような考えをしていると、先生が再び口を開いた。
「お前、これからどうする?稽古できねぇだろ。それ」
僕は少し考え込んだ。
流石に治るまで部活を休むというのは現実的じゃない。だが稽古はできないだろう。
ふと、中学三年生の頃から続けている筋トレのことを思いだした。
憧れのあの人物に、少しでも近づきたいと思って始めたのだ。
その気持ちを思い出すと、当時の感覚が次々と蘇ってくる。
そうだ──この感覚だ。
僕が当時抱いたこの震え。
これこそが始まりだった。
──諦めたくない
ひょっとしたらもう無理かもしれないけれど、また一から始めてみよう。
僕は先生に言った。
「左腕は使わずに、筋トレをします」
そう、もう一度基礎から鍛え直すのだ。
「そうか。まあがんばれや。病院の定期検診があった時は報告しろよ。朝待ってるからな」
「はい!」
僕はそう言って退室した。
左腕をそっと見る。
色々あったが、この怪我のおかげで大切なものを思い出すことができた。
──またやってみよう
先程の悲観的な考えが嘘のように、今は前向きな気持ちになっていた──
──
コン、コン、とノックをする。
「失礼します!織田先生に用事があり、参りました!」
そう声を発して、体育教師の職員室の中をまっすぐに歩いていく。
ここは学校の体育館の中にある体育教師の職員室だ。僕はあの後から、病院での検診が終わった翌日の朝に、こうして織田先生に報告をするためにここに訪問している。
少し歩くと織田先生の机があり、そこに本人は座っていた。
「おう、今回はどうや?良くなってんのか?」
「はい!良くはなっているそうですが、まだ安静にしないといけないそうです」
「そうか。まだかかるのか。」
同じこと報告するのはこれで何度目だろう。
僕が骨折した日からもう三ヶ月は経っていた。
その間、筋トレや雑用をなんとかこなしてはいるものの、やはり不便だ。
それにそろそろ僕も、そう何度も同じことを報告するのは辛くなってきた。
なんだか仮病だと思われるのではと、身構えてしまう。
「もういいぞ」
「はい」
どうやら戻っていいらしい。
「失礼します!」
僕は踵を返そうとした──その時
「すまなかったな」
……っ!
あの織田先生が僕に謝罪をしたのだ。
「い、いえ。失礼します!」
再度挨拶をしてから踵を返す。
「織田先生に要件終わり、帰ります!」
僕は職員室を出る。
時計を見る。
もうすぐ授業が始まる時間だ。剣道場にいる同期たちには、報告があるからと伝えてあるため、今日はこのまま教室に向かう。
それにしても──
あの織田先生が謝るなんて、思ってもみなかった。
何に対しての謝罪なのだろうか。
骨が弱いと言ったことだろうか、それとも骨折してしまったことに対してだろうか。
どれが理由でもこれは珍しいことだなと、僕はぼんやりと考えていた。
ガラガラ
教室の戸を開ける。
相変わらず寝るか騒ぐかの両極端な教室である。
「お前、まだギプスしてんのかよ」
「仮病なんじゃねぇの?」
赤田と吉田だ。
彼らは僕のことが気に入らないのか、よく僕に挑発じみたことを言ってきていた。
いつも流しているが、この時は僕の心の中の “仮病だと思われるんじゃないか” という恐れが刺激されたのか少しばかり感情的になってしまった。
「それは違う!」と、声を荒げてしまったのだ。
それを聞いた彼らは、くすくすとお互いを見やって笑っていた。
悔しかった。
好きでギプスをしているわけではない。
三ヶ月も稽古ができなくて後ろめたい気持ちでいっぱいなのだ。
僕は唇を噛み締めて、ただ俯いていた──
──
「ヤァーー!!」
ダン!、と掛け声と踏み込みの音が響く中、僕はひたすら筋トレをしていた。
今は空気椅子をしている。
稽古を見ながらの空気椅子はなかなか辛いものがある。
足がプルプルと小鹿のように震えている。
二分──それが僕が空気椅子をし続けられる時間である。
もっと伸ばしたい。
気づいたのだが、僕はこういったことに一人で取り組むのが好きらしい。
回数やタイムが伸びると嬉しいし、その伸ばすための練習が楽しいのだ。
今、僕は主に右腕と下半身を重点的に鍛えていた。
空気椅子の次はふくらはぎを鍛える。
右腕を壁につけて片足で立つ。そしてその足の踵をつま先でゆっくりと、上下させるのだ。
これがなかなかに良いトレーニングになる。
ふくらはぎは剣道の踏み込みに不可欠な部位だ。これも限界までやり抜く。
「ふぅ…」
次はもっと気合いを入れないと、気持ちが挫けてしまいそうになるトレーニングだ。
片足スクワット──
その名前の通り、片足でスクワットをするのだが、これがとても難しい。
片足でバランスをとりながらゆっくりと下までいき、今度はゆっくりと身体を上げていく。
とても繊細なバランスも筋力がいるのだ。
1、2、3.…はぁ、はぁ、
ぐっ、やはりきつい。
息が乱れながらもなんとか両足とも10回やり切る。
これをあと2セット繰り返す。
と、織田先生がこちらにやってきた。
「それはほどほどにしとけよ。膝が壊れるかもしれねぇからな」
「は、はい」
そう言って。織田先生は稽古に戻っていった。
なるほど。確かにこの片足スクワットは膝の負担がすごい。あまりやりすぎると、左腕の二の舞になるだろう。
僕はこの片足スクワットをあと1セットに減らすのだった──
──
リーッ、リーッ、と、どことなく寂しそうなコオロギの鳴き声が聞こえてくる帰り道。
僕はもう秋も終わりだな、と呑気なことを考えながら歩いていた。
この三ヶ月、部活中はただひたすら筋トレをしている。そのおかげか、足が軽く感じる。
筋力がついたのだろうか──
僕は込み上げる嬉しさを噛み殺しながら空を見上げた。
僕の最寄り駅から実家までの道は夜、とても静かで暗い。そのせいか、虫の声や星空といった自然の景色や音がより強く感じられる。
今夜も星空は綺麗だった。
腕も少し動かしただけじゃ、痛みは感じないほどに回復している。
──もうすこしだ
僕は近づきつつある復帰の時を感じていた。
あとがき
第11節 疲労骨折を読んでいただき、ありがとうございます。
この話は自分の身体の脆さを思い知った僕が、それでも始まりの気持ちを思い出し、新たに一歩を踏み出す話です。
この時僕は自分の脆さを痛感し、自分では憧れには届かないかもしれないと諦めかけたのですが、あの、少しでも近づきたいと願って筋トレを始めた日のことを思い出して、また一からやり直そうと思うことができました。
今思えば、これは自分の身体を鍛え直す良いきっかけになったのだと思います。
次の話も読んでもらえたら嬉しいです。

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