
僕は、自分が臆病で繊細な人間だと知っている。
けれど、その臆病さの中で自分を奮い立たせてやってきたことがある。
高校の厳しい剣道部、過酷な自衛隊生活、慣れない土地でのワーキングホリデー──
どれも僕の性格では不可能に近かった。
それでも、「なりたい自分」に追いつこうと必死に喰らいついてきた。
誰にも褒められなかったとしても、僕の中には確かに「信念」があった。
それは、どんなに小さなものでも、僕自身が積み上げてきた証でもあったのだ。
けれど、その後に投げかけられた言葉たちが、その信念を少しずつ削っていった。
「おかしい人だ」「冷たい」「おまえは誰からも愛されない」──
そんな言葉が積もり重なり、やがて自分自身をも信じられなくなってしまった。
──それでも
その”信念”は消えずに僕の中で存在し続けていた。
たとえ誰に否定され、笑われても、”それ”だけは常に自分の傍で寄り添ってくれていたのだ。
──人の感情にうまく寄り添えなかった自分
──冷たい人間だからと諦めてしまった自分
だけど、そんな僕の奥にも確かに存在している“温かさ”がある。
それは、妻に対する「愛情」だった。
最初は、悲しんでいる彼女を前にしても何もできず、
心の奥では、こんなことを思っていた──
「俺たちはうまくやっていけるんだろうか」
「もっと感情豊かな人間の方が、彼女は幸せだったかもしれない」
そうして、諦めようとしていた。
けれど、「彼女との関係がなくなる」と思った瞬間、言い表すことのできない悲しみが胸の奥からせり上がってきた。
彼女と過ごした日々、交わした言葉、笑った時間──
それらが次々と頭の中に流れ込んできて、胸が張り裂けそうになった。
「彼女を失いたくない」
心から、そう思った。
そして気づいた。
自分の中にも、こんなにも強く誰かを想う感情があったのだと。
それまでずっと、人と自分との間には、透明な壁のようなものがあると感じてきた。
感情が遠く、他人の悲しみを“分かち合えない”自分に、諦めにも似た思いを抱いていた。
──でも今なら、こう言える。
僕の中には“冷たい心”なんかではない。
確かに、誰かを強く想う“熱い感情”が流れていたのだと。
僕の中にある“冷たさ”の奥には、実は繊細で、熱い感情が確かに眠っていた。
それは、彼女やその友人たちのような形ではないかもしれない。
それでも、「彼女の隣にいたい」と強く思う自分がいる。
正直、僕の感情の形が理解されなかったり、否定されるのはまだ怖い。
それでも僕は、僕なりの言葉で彼女に気持ちを伝えていこうと思う──
そして今、僕は彼女と一緒に生活をしている。
正直、共に生活をする中ですれ違うことも多い。
だがその度、互いに「今どういう気持ちでいるのか」ということを伝え合い、”理解し合う”ということを努力している。
僕と妻はたくさんの”違い”を持っている。
その”違い”を理解し、認め、受け入れていくことで、二人の絆が深まっていくのだと僕は思うのだ。
あとがき
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、僕と妻がまだ付き合い始めて間もない頃の話を書きました。
正直、この出来事を思い出すとまだ胸が痛いです。彼女の飼い猫のためにお金を出せなかった僕。
当時は先のことを考えて決めたつもりだったのですが、今振り返ってみると、とても冷たい対応を彼女にしていたのでは、と思ってしまいます。
今でも時々この出来事を思い出しては、もしかしたら僕は、また似たような状況になった時、彼女の気持ちを無視して行動してしまうかもしれない。
そんな不安が溢れてくるのです。
僕の本来の性質は冷たい人間なので、できる限り彼女と会話をして、理解する努力が大事なのかなと僕としては思っています。
長くなりましたが、まだまだ新しい記事を更新していく予定なので、よければ末長くお付き合いいただければと思います。


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